パレスチナに自由を!

 昨日27日の土曜日は定例の 梅田解放区 であった.
 解放区の前に 関西ガザ緊急アクション に参加しようと1時間早く出て,阪急梅田駅で降りて西に歩き,地下鉄四つ橋線西梅田駅から地下鉄に乗り,四ツ橋駅で降りて,午後5時から大阪西区の新町北公園で開催された集会とデモに参加した.
 大勢の人が集まっていた. 京都デモ情報 では400人とある.いつも梅田解放区で会う人や,地元の知り合いなどと出会い,やあやあと声をかけあう.
 大阪でのこの集会は,京都デモ情報で知った.この日は京都でもやっていたのだ.

  
 母語で語るガザ出身の人も登場し,それを横でわかりやすく翻訳してくれる.
 いまこのときもガザではイスラエルによる攻撃が続いている.アラブ人への差別と植民地主義,そして民俗浄化=虐殺,これがイスラエル建国から75年間続いているのだ.
 それに対するパレスチナ人民の闘いが続く.     
 5時40分に新町北公園を出て地下鉄のなんば駅に向けて,横断幕「パレスチナに自由を!」を掲げてデモをはじめる.このデモに参加し,公園から東に向かい御堂筋まできて、そこから南に歩く.
 緑のニライカナイ さんも参加されていて報告をあげておられる.山口恒樹 さんという方も詳しく報告しておられる.

 このような戦争と殺戮が続いていることは,パレスチナイスラエルの間の問題ではない.この地上に生きるものみなの問題なのだ.そのことを道ゆく人にも訴える.

 デモは難波に向かう.その少し手前の地下鉄御堂筋線四ツ橋駅の近くに来たときに私はデモから離れ,それからに下に降り地下鉄に乗って梅田駅にむかう.そこから少し東に歩いて6時頃,夕方5時半から行われていた東梅田での定例の 梅田解放区 に加わる.解放区の方は数人であったが,いつものように横断幕をもつの手伝ってきた.

 さて「阪神淡路大震災から29年」に 市立芦屋高校市芦のことも書いたので,これまで書いたものをいろいろ読みかえし,市芦で検索して出てくるものを読んだ.
 また「次の時代をひらこう」にも書いたが,私がこうして街頭に立つのは24歳の時からだ.京都で2年間,毎週土曜日にベ平連京都の土曜デモに参加していた.鶴見さんや飯沼さんが京都で活動されていた頃だ.
 そして26歳のときに芦屋市 で教員になった。1973年の秋だった.しばらく京都から通い,1974年の春からは兵庫県に住んだ.
 この Wikipedia では「1974年には普通科高校として全国で初めて知的障害者を受け入れるなど『高校全入』を目指す取り組みを行った。」と書いてあるが,中学の「障害生学級」の生徒こそ地元の高校で,という親の願いに応えようと,これを進めたのが私とUさんで,それを教員仲間に訴え,親の会と一緒に市と交渉し.市教委に受け入れを認めさせ,教員の定員を増やすことができた.その加配できてくれたのが Y さんであった.市芦でやってきたことは「芦屋市立芦屋高校(市芦)における障害者解放教育」に書いている.
 13年ここで働き,それからある党派の専従になり,それを数年間やった.
 そして,塾の数学講師になり,高校生に数学を教えながら,近代日本の教育数学を考え直すことをはじめ,それを青空学園にあげてきた.
 やらねばと思ったことをやって,生きてこれたことに感謝している.