マルセイユの落書き

nankai2009-08-08

 マルセイユの下町の壁に写真のような落書きがあった.およその所はわかるのだが,できれば正確に訳したいと思いフランス語のできる知人に意味を聞いていた.改行をとって小文字に変えて書くと次のようなものだ.

Mais où est SARKOPIE le primat des geôles ? La-bas au soleil il bruni ... Vive la raïpublique.

 わからないのは「raïpublique」で,共和国「république」をもじって「俗和国」くらいの意味ではないかということだ.ただ,raï(ライ)はアラブ系のホップスの一つのジャンルでフランスではたいへん人気がある.マルセイユという土地柄,そちらの方に掛けているのかも知れない.だから「サルコジなんか勝手にしろ.われらのライホッブス共和国万歳」という意味かも知れない.とりあえず私の訳.

 それにしても監獄の司祭様のサルコジ野郎はどこにいるのか? どこかの太陽の下で日に焼けているのだろう...俗和国万歳.

 去年の夏,サルコジ大統領がバカンスで豪華に遊んだときのことだと思う.それを思いきり皮肉っている.監獄の司祭とは,内務大臣以来サルコジ大統領が若者を挑発しては抑えつけてきたことを言っている.1年間消されずに残っていた.むしろ大事にされている感じで,フランス人観光客も写真に撮っていたりしていた.マルセイユの街の高台には今も1944年当時のドイツ軍戦車が残されている.街を見下ろす教会の壁には銃弾痕が残り,そこには「この壁の銃弾の痕は,1944年8月15-25日のマルセイユ解放の闘いの跡である.」と板に書かれてとめられていた.連合国と自由フランスのプロバンス上陸作戦がおこなわれ,ドイツ軍との市街戦の後にマルセイユトゥーロンのドイツ軍が降伏.そういう歴史の街だから,サルコジ大統領の進める方向に抵抗も強いのだろう.今年の1月29日にも大きなデモがあった.日本のわれわれもまた1945年8月,軍国主義から解放された.だがやはり戦勝国のものと敗戦国のものでは立場と感覚が異なる.われわれの場合はまだその歴史をしっかり締めくくったとはいえない.
 もちろん,そういうフランスも,ではインドシナではどうだったのか,アルジェリアではどうだったのか,同じヨーロッパのなかでは反ファシズムを闘いぬいたが,アジアやアフリカに対してはどうだったのか.また2004年のフランス各地の都市郊外の若者の暴動に見られれるように,今日のフランス社会で若者は,とりわけ移民の3世たちはその人権を認められているのか等々,彼の地もまた様々の問題をかかえている.この落書きもそんなフランスを告発するというか皮肉るというかそういう内容だ.本当に今回のフランス旅行ではいろいろ考えさせられた.