センター試験を事業仕分けの対象に(続き)

文部科学省事業仕分けについての意見を求めている.「センター試験事業仕分けの対象に」ということでメールを大臣官房会計課宛で送った.公共機関や民間団体の陳情などではないので,力はないが,意見の表明はしたいと思う.以下その内容です.これを読まれた方てそうだと思った方はぜひ自分の判断で「センター試験事業仕分けの対象に」の声を文科省に.

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文部科学省 大臣官房会計課御中

事業仕分けに関する意見書です。センター試験事業仕分けの対象にし、廃止の結論を出していただきたいという意見です。

政権党である民主党は『民主党政策集 INDEX2009』の「文教政策」の「大学改革と国の支援のあり方」において、「なお、大学入試のあり方については、大学センター試験・大学入試そのものの抜本的な検討を進めます。」と明言されています。これは高等学校など、高校生の教育に携わるもに勇気を与える言葉です。

本来、大学入学選抜は、大学進学を希望するものが大学での勉学に必要な学力をどれだけつけているか、その内容と到達度において選抜するということでなければなりません。

ところが日本の大学入学選抜試験、とりわけセンター試験は、そこで試される学力が、大学に入ってからの力、あるいは人間として必要な学力とは無縁なものです。そのことは当の大学人が認めているところです。次の言葉は1999年大阪大学入学式における総長あいさつの中の言葉です。

センター試験は全くその人の力を測ることにはなっていない。今年の地理の問題で、ある国の主要な生産物を問う問題が出ていた。地理学の教授に聞いたが、大学センターが正解としているものを主要な生産物とは断定できない、と言っていた。それをマーク式で答えさせるなんて無意味だ。じっくり読めば読むほど時間が足りなくなるような試験は、試験でない。

諸君は受験競争を勝ち抜いてここに来たのだが、大学での勉強は、受験勉強とはまったく違う。受験の学力と大学に入ってからの力とは別のものである。

出題する側の大学人がこのようなこと入学式で発言するのは何とも無責任なことではありますが、いわれていることはまったくその通りです。また京都大学の上野健爾先生は次のようにいっておられます。

入試の勉強で分からない問題を一晩でも真剣に考えたことのある高校生が何人いるでしょうか。たしかに、あるレベルまでの点数をとるためには、問題の解決のパターンを暗記する方加効率は容易でしょう。効果はすぐ目に見えます。しかし、自ら分からないものを何とかして解こうと努力したか否かは、後に大きな違いを生みます。現在のように、社会が次々と新しい問題に直面するとき、それを的確に把握し、解決を模索する姿勢は、暗記しかしてこなかったのでは生まれてきません。受験生のレベルが確実に低下しつつある、計算力さえ落ちつつある現状は危機的状況であると思います。

そのような意味では、現在のセンター試験は真つ先に廃止すべきものです。考えていたら問題を解く時間がなくなってしまう現在の数学の問題は、数学という学問から逸脱しているとしか言えません。センター試験は、それぞれの科目を理解したか否かの到達度をはかるべきものでしかないと思います。特に数学は問題数をもっと減らして、考える力、理解力をはかる問題に戻すべきです。大半の受験生が良い成績をおさめるのであれば、それは高校教育がしかるべき成果をおさめているとみればよいのであって、試験結果が正規分布になるような問題を作る(問題をたくさん出せばそうなります)のは、自ら考えることのできる人材の養成を難しくし、目本の将来を危うくしているだけです。(雑誌『数学セミナー』1996年3月号所収の「高校数学の再生を求めて」)

大学人自身が、センター試験は大学での学力とはまったく無縁なものであるといっておられるのです。

実際、高校生の学力の変遷を見ていると、共通一次試験からセンター試験と続く入試改革は取りかえしのつかない失敗であったといわざるをえません。

この十数年、数学はある程度できるが論述することができない、あるいは問題文を読んで題意を把握することが難しいという生徒が増えてきました。センター試験がそのこととどれだけ関連しているのかは十分明らかにはされていませんが、センター試験が高校生の学力低下をよけい押し進める方向で作用していることはまちがいありません。

青年から落ち着いて勉学することを奪い、受験をよりいっそう小手先の技術にしました。国語科のセンター試験が唯一国語の試験であるという理系の生徒にとっては、国語は選択肢から選ぶ問題になり、要約や大意を書くという国語のもっとも基本的な「手で書く」勉強が、完全に投げてられてしまいました。

もちろん、その背後には近代日本の大学入試の問題そのものがあるのですが、それを一気に拡大したのがセンター試験です。

無駄を省くという観点から、多くの基礎研究の分野で予算が削減されそうです。若手研究者の支援など必要な予算が削減されています。これについては別途意見を述べたいと思いますが、一方でセンター試験のように大方の教育関係者が反対であるものがそのまま実施され続けています。

センター試験は高校生の教育に携わるもの、あるいは大学の側の多くのものがなければよいのにと考えているもので、無駄以前の害悪のある政策です。ですから、私はセンター試験は一日も早く止めるべきだと思います。この立場から、ぜひセンター試験事業仕分けの対象に加えられ、この三十年の共通一次センター試験を通して高校生の学力がどのように変化し、落ちてきたのかを検証され、本当に必要なものに予算を配分するためにも、センター試験を一日も早く廃止されますように、要望します。

2009年11月19日