普天間基地移設問題(三)

nankai2009-11-30

一週間ほど数学の問題ばかりやっていた.いつの間にか秋も終わり冬の気配である.写真は夙川上流の紅葉.久しぶりに我に返って世間を見ると,普天間基地移設問題で政府は相変わらず方針を明確にしない.
この問題で肝心なことは,国家の主権という問題だ.日本の土地のどれだけをアメリカ軍に貸すのかは,日本の主権の問題であり,日本政府が決めることだ.前にも書いたが,次の二点を明言すればよいのだ.
1) 普天間基地は市街地に隣接し危険すぎるのでただちに閉鎖し土地を空けること.
2) 日本には、現在米軍に貸している以上には,貸せる土地も,埋め立てて貸せる土地も,ない.
まずこちらの態度を明確にすべきなのだ.そのうえで交渉する.対等な日米同盟とはそういうことであるはずだ.社民党は県外か海外といっているがそれはいわなくてもよいことなのだ.後はアメリカが考えることである.私は出ていってもらってもかまわないという立場だ.アメリカ自身が基地をグアムにまとめたいと考えている.この20年ほどはむしろ日本政府が米軍を沖縄に引き留めてきた.アメリカからすれば,日本政府がいうから沖縄に基地を残すことにしたのに今さらなんだ,ということでもある.アメリカ軍がいることによる抑止力をいう人がいるが,軍事力の存在は戦争の抑止力にならない.アメリカの「反テロ戦争」の結果,かえって世界は不安定になり,アメリカ経済と国力そのものが損なわれた.
前にも書いたが,小沢民主党幹事長は党代表の時に「アフガニスタンにいくら増兵してもアフガンの人々に支持されないで勝てるわけがない」,「日本はアメリカ、中国と等距離で対等につきあうべきだ」,「極東の米軍は第七艦隊で十分だ」と発言してきた.駐留米軍は必要ないという意見である.現代史をよく考えれば,いずれも至極まっとうな見解であるが,それからいえば普天間閉鎖であって辺野古沖を含めて国内の移設ということにはならない.党代表であった時のこの意見は今の民主党ではどのように引き継がれているのだろうか.海外移転というがグアム現地の人は米軍基地をどのように思っているのだろう.そこが分からないので私は海外移設にも賛成できない.
歴史に学ばなければならない.かつて三里塚に空港を建設するとき,現地の人々は反対し,大きな闘争になった.幾人もの犠牲者まで出して成田空港は開港した.三里塚の闘争以来40年,今,ハブ空港は羽田に,となってきている.実際,利用者数は羽田がいちばん多く利便性も高い.50年前,首都の空港をどうするかが問題になったとき,新しい空港をつるよりも羽田の拡充を考えるべきだったのだ.羽田空港を拡張し国際空港とする案が漁業補償で挫折し,富里への移転も破綻,そして三里塚へとなったといわれている.しかし現在羽田の拡張はすすんでいる.当時も漁業補償をもっと大きくすればできたのだ.そうせずに新空港建設となったのはまさに戦後の土建行政そのものだった.官僚は卑怯である.今その失政が分かっていながら自分から「羽田をハブに」とは言わない.大臣に言わせている.三里塚闘争と羽田・成田両空港の今日は,いろいろな意味で歴史の教訓である.
ここでもし辺野古沖を埋め立てるということになれば,三里塚闘争のような,あるいはそれ以上の反対闘争になる.まず民主党にそれを受ける覚悟があるか,ということだ.次に仮にそれを押し切って滑走路と米軍基地を作ったとする.そこで,30年後のアメリカに,世界に軍を展開する国力があるかと考えれば,九分九厘ない.これは,その人がどんな立場であるかとか,思想信条がどうであるかとか関係ない.右も左もない.客観的な歴史の方向だ.ジュゴンを絶滅させ,美しい海を埋め立て,そして米軍は出ていった,となることはまちがいない.誰がそれをやったのか.あのときの民主・社民・国民新党政権だ,ということになる.外務省も防衛省もそのことが分かっていながら,民主党政権にやらせようとしている.これは成田の歴史に学ぶのかどうかの問題だ.鳩山政権にそれが分からないのならそれまでだ.こちらはこちらの問題として反対する.沖縄の未来は,沖縄の人々自身が決めていくことではあるが,米軍基地を返還させ,その後にそれこそ東アジアの中心となる空港と港湾を整備し,そして東アジアの交易の中心地としての繁栄以外にないと思う.
辺野古浜通信ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!など参照.