正月の記憶

新しい年のはじめである.いっとき家族がそろい,またそれぞれの場に戻っていく.今年のしめ縄は自家製だ.私の記憶にある正月風景を記しておこう.実家の本家は茶問屋だった.昔,京都地方の商売人は大晦日まで集金や仕事をする.そして正月の飾りつけをし,明け方までかかっておせち料理をつくって元旦は寝正月である.おせち料理とはもともと三が日の食事を作っておいてこの間は炊事を休むためのものではなかったか.
正月の三が日は別の世界であった.家には小さい神棚があった.何が祭られていたのかわからない.大晦日に父が神棚に灯明をともして,翌日の別の世界の別の時間の始まりが用意される.その灯明のろうそくの光の静かな揺らぎが,ちがう世界を示していた.その頃竈(かまど)はまだ土間にあった.ここにも小さな門松をかけ,十二の餅といっていたが,小餅を十二個つけてひとつにしたものを鏡餅として祭った.おそらくは年占いの名残なのだろう.ここにも灯明を上げる.父は勤め人だったが,商家の出だったからそれだけにしきたりは伝えられていた.大晦日のあの別の世界の準備と期待感は忘れられない.商売人の世界にも確かに農耕に由来する風習が生きていた.そして三が日である.ハレの世界である.
二日は初荷.この日は親戚や得意先をまわる年始参りである.小学校は二日が登校日で紅白のまんじゅうをもらった.三日間はそれはそれはすぐに過ぎてしまう.過ぎゆく正月の名残りの感覚も忘れられない.正月五日の県神社の初祭りがあり,続いて太神楽の獅子舞が家々を回り,そして再生の感覚は節分へと引き継がれる.旧暦の正月前後はまさに籠もるときであった.青虫がさなぎなって繭に籠もりそして時節の到来とともに蝶になる.農耕文化の経験に起源をもつこの冬枯れと再生の感覚は一連の正月行事のなかに生活の記憶として受け継がれていた.一九六〇年代の高度経済成長の時代にそれは失われた,あるいは表からは隠れた.
高校生にとって正月二日は勉強はじめである.高三のとき,初勉強しようと呼びかけてくれた先生がいて,二日に登校したのを覚えている.三年生の皆さんは,これからセンター試験,それからもう一勉強して二次試験.これまでの努力を実らせるために最後の調整を怠りなく.自分はとにかくできるだけのことはやってきたという確信がもてるように残る時間を大切に使おう.あとは自分の力を発揮するだけだ.もし進路に迷ったら,客観的に自分の力を見ながら,しかしまた逃げもせず,目標に立ちむかう心づもりで決断しよう.人生一般にいえる真理であるが.自分の前に二つの道があるなら,困難な方を選べ.困難でも頂上につづく道を選んでもらいたい.
いざ試験.あわてず,あせらず,油断せず.これを試験の前に三回心の中で唱える.冷静になって実力が十割発揮できる.皆さんの健闘を祈ります.春は遠くない.掲示板にも書いたが,今年も,当世の風潮に抗って,じっくり考えている人の支えになれるように,やっていきたいと思っている.