『幾何への誘い』を読む

nankai2010-04-28

 小平邦彦先生の『幾何への誘い』(岩波現代文庫)を読む.昔いちど読んだがそのときは他の仕事をしているときで,自分の問題として読んだとはいえなかった.その後,青空学園でいくつか幾何の読み物も載せて来た.最近古本屋で岩波文庫版を手に入れたので読み直した.驚きの連続であった.
 三角形には重心が存在する.△ABCの辺BC,CA,ABの中点をL,M,Nとする.このときその証明は次の2段階に分かれる.
  1) 直線BMと直線CNの交点をGとする.  2) 直線ALがGを通ることを示す.
かつて日本の中等教育でおこなわれて,今も中学や高校で習う幾何は,1)のGの存在は図を描くことで自明のこととする.2)は図を描いただけでは,ALがGの近くを通っているだけかも知れず自明ではないので,これを厳密に証明する.これを「図形の科学としての平面幾何」といおう.1)の前提のもとでの2)の厳密な証明,これが大切であり,論証の実践である.本書は第I章で,この立場の平面幾何を展開し,フォイエルバッハの定理の証明までおこなう.
 では,1)のGの存在は何に根拠をもつのか.Gの存在を根拠づける公理系を研究したのがヒルベルトの『幾何学の基礎』である.第II章は「数学としての平面幾何」としてヒルベルトの立場をまず紹介する.ヒルベルトは,点や直線は無定義用語であり,名詞相互の構造関係が重要なのであって,名詞そのものは「点,直線」の代わりに「椅子,机」でもかまわないという立場であった.その上で小平先生の考えが示される.

無定義語は意味をもたない記号などではなく,はじめから意味がわかっているとして定義しないで用いる用語であり,公理は理由を述べないで真と認める陳述てあると考える,というものて,形式主義とは反対の立場です.

 この立場から展開されたのが『幾何のおもしろさ』(岩波書店,数学入門シリーズ,1985年)である.
 第III章は「複素数と平面幾何」,複素数を用いて図形をつかみ直し,複素数計算によって図形の論証をおこなう.ふたたびフォイエルバッハの定理を証明して本書は終わる.
 フォイエルバッハの定理でおこなった三角関数を用いる証明は複素数での論証を座標成分で書き直したものに過ぎない.三角関数で計算するとあまりにうまくいって不思議であるが,複素数の方から見ると計算の仕組みがよく見える.フォイエルバッハの定理は戦前の沢山勇三郎という人が22通りの証明を発表したということが本書の注に書かれていた.『沢山勇三郎全集』(岩波書店,1938)があるそうだ.また,岩田至康編『幾何学大辞典1』には11通りの証明があるということだ.この本はネットで探すと古本にあったので注文した.
上野健爾先生が「初等幾何の力」と題して解説を書いておられる.文明論にまで踏みこんだ深い内容の一文である.その中で

初等・中等教育から初等幾何学を排除することによって,じつは教育は大きなものを失ったのである.

と書いておられるが同感である.
 数学の基礎づけという問題では,ヒルベルトゲーデル,そしてブルバキと展開し,現代では形式主義を「方法」としてとらえるところに至っているように思われる.小平先生の立場に近づいてきたともいえる.私は「対角線論法」の最後で「集合論の背理の発見から,ヒルベルトの計画,そしてゲーデルの,これら一連の歴史の結果,数学は,数学そのものとそれを今日の段階の力で記述する方法としての体系の分離と統一を見いだしたのだ.体系とは完結したものではなく,それ自体が開かれた発展する方法なのである.」と述べておいたが,これは西洋文明とその本質をわれわれの立場で受けとめ直さなければならない現在,とても大切なことだと思っている.
 いずれにしても,もっと高校数学で幾何が重視されることを望んでいる.私は高校生に数学を教えるという立場から,高校生の現実としての「問題」(主には入試問題)から入り,それを一般化し逆を考えその背景を深めるという観点で,WEBに載せて来た.幾何に関するものが多くなった.「いっとき受験を忘れて楽しい数学をやろう」という入り口もあるのだが,それはいささか現実逃避である.一方,問題から入るという方法はあまり体系化できないという欠点がある.それで自分のために『数論初歩』や『解析基礎』をまとめてきた.幾何学もやりたいがしかし難しい.また高校数学の基礎を支える認識の構造,少し認知心理学のような言い方だが,ももう少し勉強してみたいと考えている.いつまで考えられるのかわからないが,途中も含めてWEBに置いておけば,誰かの何かの役には立つだろう,と思っている.
追伸:ここまで書いたら古本『なぜ初等幾何は美しいか』(東京出版)が来た.原著はフランス語で「La Géométrie du Triangle (三角幾何)」.原書の題の方が「美しい」ことを押しつけないのでいいと思う.それはともかくざっと見るとフォイエルバッハの定理を「反転法による別証明」でやっている.また「フェルマ点」についてもいくつか書かれている.読んでみるつもりだ.
写真は近所のハナミズキ