『死に至る地球経済』を読む

『死に至る地球経済』(浜矩子著,岩波ブックレット)を昨日の帰りの電車の中で読み,先ほど再読した.2008年9月のいわゆるリーマン・ショックから2年,問題は何も解決していない.それどころか,ギリシアに見られる国家財政破綻の危機,アメリカ経済不況,日本や欧州の出口なき閉塞はますます深くなる.その一方で経済成長を続ける資本主義中国.それらの相互関係を地球経済の構造という視点で解明しようとする.
結論ははっきりしている.地球という有限の場で永遠に経済拡大を続けることなどできない.それを無理して国家が介入して拡大を維持しようとすれば,今度は国家財政が破綻する.日本もまた稼ぐよりも多い借金をくりかえしている.経済拡大によらない地球生活の維持と再生産の仕組みは可能なのか.「悲惨な結末を回避したければ,思い切って耐え難きを耐え,不可能を可能にする」.その叡智が今求められていると著者は言う.
この本で構造が解明されている経済とは,近代,つまりモダンの時代の経済そのもである.日本で近代と言えば明治以降を言うが,本来モダンとは,1492年頃のコロンブスらの航海とスペイン・ポルトガルによる「世界分割」,そして1453年に東ローマ帝国オスマントルコに滅ぼされ、東方の知識人がイタリアに移動,ルネサンスがはじまったとき以来の五〇〇年間の資本主義経済を土台とする欧米中心の世界をいう.資本主義の経済拡大を基礎にこの文明は展開されてきた.
一昨日の『ポストモダン共産主義』の「ポストモダン」はこの意味で「後・近代」をいっている.いずれの本も,リーマン・ショックの本質を,この五〇〇年来の近代世界の行き詰まりとしてとらえている.そしてスラヴォイ・ジジェクはこの行き詰まりをこえる智慧共産主義に見出そうとする.資本主義とは絶えず拡大することが本質であるのならば,それは永遠ではありえない.資本主義をこえる視点を共産主義に求める.浜矩子は説得的にその智慧を生みだす叡智が求められていることを説く.だがしかしいずれも開かれたままの問題提起であることはかわらない.
多極化は不可避である.だが多極化すれば問題が解決するのではない.多極化とは,中国やインドや南アメリカ,アフリカ等の経済成長と政治的な力の増大であるが,そのれはまさに近代の範疇に属することである.モダンの枠の内のことである.浜矩子もジジェクも,後・近代を問うている.
浜矩子は,経済活動が成長と競争と分配からなるとすれば,今の日本経済では分配の問題がいちばん疎かになっているという.豊かさの中の貧困,限界集落,地方の没落.人間の生存,そのためにこそある経済,という基本に立ちかえるなら,著者のいうことは至極もっともである.この点も昨日の民主党党首選挙での政策の分岐点であったのだが,その意味でいえば,ずいぶん逆行した結果であった.後・近代の智慧を提示する.その叡智を政治に顕す.これはまだまだ途の遠いことであるとつくづく思わざるを得ない.
今回の民主党党首選挙は,公に論争が行われたという点で,新しいことのはじまりだった.沖縄海兵隊が定員は一万人だが実際は今二千人しかいないことが,公言されたのもよかった.日本のマスコミがいかにアメリカの意向の下に動くのかということが明確になったのもよかった.最初の一歩であるが,政治が公に語られ,盛り上がった.この議論がもっと開かれた日常のものになることを願っている.
さて,われわれの世代は過半がおわり,結構面白い人生であった,ですむのだが,高校生や大学生の皆さんは,まさにこれからである.たいへんな時代に生きていかなければならない.が,またそれだけ生き甲斐もある.がんばってほしい.私もまた,もう少しなすべきことはしておかなければならない.