『19世紀の数学』

昨日,古本『19世紀の数学』(クライン,共立出版,1995)が来たのでこれを読みはじめた.「純粋射影幾何学の体系化」というところを読みたくて手に入れた.それを一気に読んだ.複比というものの本質的な意味は何だろうか,と考えていて,ここが読みたくなり注文したのだ.この本の中ではこちらが考えているところまでは書かれていなかった.しかし19世紀の射影幾何をめぐるいろんな数学者のやりとりはたいへん参考になった.
フランス革命を越え,射影幾何での複比の重要性が認識されはじめたころ,複比が線分の長さという量で定義されることと,射影幾何はそのような量から自由なところに成立することとがなかなか統一されず,この問題をめぐってさまざまの立場,方法が入り乱れていたのだ.
複比は射影直線上の4点の組を,一つの射影直線の一点に対応させ,同じ点に対応する組であることと,互いに射影変換で移りかわる組であることが同値であるような,4点の組から一つの射影直線への写像なのだ.これは2002年7月号の『数学セミナー』に載った加藤文元先生の「射影変換」に教えられた見方である.この観点から図形的にも解析的にもとらえることができそうだ.その辺のところで今いろいろ材料を集めている.これは本当に面白い.
『19世紀の数学』はその後のリーマンのところをいささか興奮して読んでいる.19世紀は西欧がいちばん輝いていた時代だ.西欧の繁栄の裏には過酷な植民地支配があり,収奪された富が西欧に集約されたからこそ,その土台のうえに19世紀の数学の爆発もあったのだ.逆に言えばあの時代に人間が獲得したことは,そのような犠牲のうえにあり,それだけにその基本的な精神,そこで得られた事々は人類の遺産として引き継がなければならないと思う.と,そういうことで10月になった.やっと秋である.今日から代講が入り,しばらく毎日授業がある.
追伸:『19世紀の数学』は保形関数のあたりは歯がたたない.上面を読むだけになった.1,2年かけて具体例からつくってゆけばよいのだが,その時間はない.19世紀の雰囲気はよくわかったし,西欧の大学というものが大地から上にそびえているというか,それぞれその地域の固有性をふまえた根のあるものだという印象を受けた.近代にこれにならって日本でも大学を作ったのだが,やはりこれは西洋への窓口であって,今はそこからの脱皮が求められている.そのことが再確認できたように思う.