昔の本『射影幾何学』等々

 季節はめぐる.秋深まると思う間もなく,寒くなってきた.間のない激しい気候はこの時代を象徴しているのかも知れない.いろいろ考え書き足してしまった.
この20日ほど『射影幾何学』(秋月康夫,滝沢精二著,共立出版,1967年第3刷)の1章「射影幾何の公理」ばかりである.この本は学生になって1年ほどして買ったのだが,そのときはほとんど読まなかった.面白くなかった.秋月先生自身序文の最後で次のように書いておられる.

 本稿を通覧して,射影幾何の幾何らしい,本当の直感的な幾何の精神が十分に示し得ていないのを省みて,よしこの企画がそれ(現代数学講座の趣旨)に不向きであったとしても,衣をかえても不可能なことではないと考えるまま恥ずかしく思うものである.前世紀の射影幾何は実にのびのびと活躍したものである.この闊達な精神はあるいは現代では数学の全部門に拡大されてしまっているのかも知れない.しかし幾何的な直観が,現代におけるよりも,もっと強力に活動すべきだし,将来また活動することあるを信ずるが,本稿にそれが十分に盛れなかったことは重ねて非常に遺憾に思うものである.  1957年8月16日夜

 著者がこのように言うとはよほど思い通りにはいかなかったのだろう.確かにこの本は入門書ではないし,射影幾何の展開してきた歴史にも即していないし,図がほとんどない.しかし,パスカルの原文を読み,高校数学を大きく離れない範囲で証明をつけ,そのうえでこれを再構成しようということになると,この本は短いなかでよく書かれていると思う.実家の押入に眠っていて買ったことも忘れていたのだが,数年目に実家から整理したいのでと,こちらに送ってきたものだ.その後も私の本棚に置かれたままであった.それを45年ぶりに取り出し,くりかえし読んだ.この本の助けを借りて,10日ほどかけようやく岩波数学辞典第4版の「射影幾何」の項の初めの1ページ半の記述におよそ証明をつけることができた.あとは双対原理でこれをかみ砕いて再構成し,それで公理的基礎の第一段階はひとまとまりだ.
 今後のために,18〜19世紀あたりの数学,日本の数学も含めてだが,それを高校から大学初年級の数学につなげるような掘り起こしをして,すこしづつまとめていきたいと考えて10年余りやってきた.今は射影幾何をやっているが,これは奥が深くいつまでかかるかわからない.読みやすいとかわかりやすいということではなく,人間の土台としての数学ということを考えるうえで大切だと思うことに焦点をあてて,作ってゆくつもりである.このような試みをして,自由に書いてWEBで公にできるということは,ありがたいことだ.いつか誰かが読むだろう.この方にもう少し時間をとりたいものだと思っているが,授業や問題作成も結構忙しい.
 自分でいろいろわからないことをあれこれ考えると,生徒諸君の悩みも身近である.問題に出会ってわからないとはこんな事なのだと共感できる.わからないからあと五分も,自ら実践してこそ説得力がある.このように考えると,数学教育に携わるものはまず自分で問題に直面するということがなければならない.しかしそのためには,もっと教師が勉強できる時間が必要だ.教員の自己研修である.私が教員になった1973年には,自宅研修という制度がまだ残っていた.一週間で1日,時間割で授業のない日を作り,その日は自宅で勉強しなさい,という制度である.これでいろいろ勉強できた.この制度は2,3年後にはなくなった.もうだいぶ前から夏休みも学校に出なければならない.世知辛くなって教育はよくなったか,まったく逆だということである.教員にもっと自己研修の自由と時間を! そういう学校を!
 そのように考えていると,今度は6年後にはセンター試験を二通りにするという話しが報じられていた.文部官僚はどこまで生徒を食い物にして,自分たちの天下り先を確保するつもりなのか.センター試験で潤ったのは,文部官僚と情報機器を納めた電算機会社とヒヤリングの機器を納入したソニーと,そしてセンター対策と銘打ってたくさんの講座を開講した予備校とである.その結果,高校生はいよいよ落ち着いて勉強できなくなり,学力はいよいよ低下してきた.センター試験を二通りというのは,入試センターが去年事業仕分けでテーマになり,このままでは廃止となりかねないので,仕事を広げて予防線を張ろうという官僚の悪知恵でしかない.官僚と利権に群がるものの権益確保の動きである.こうしていよいよ日本の教育は荒廃してゆく.
 せめてそうではないことを少しは残しておきたいと思う.