行く年を送る

晦日である.受験生の皆さんは,まさに冬籠もりである.ここでしっかり籠もって勉強すれば春に花が咲く.浮ついた勉強は空しい.最後は自分の力である.試験の場で「やることはやった」と思え,十分に持てる力を発揮できるように,年を越え勉強してほしい.
今年は,昨年民主党政権を生みだした力に対し,それを押し戻そうとする力が菅反動政権を生み,揺り戻しがあちこちで進んだ.その一方で,今年は下からの直接行動がようやくにはじまった.そんな年であった.来年はこの二つの力のぶつかりあいが新しい段階になるのではないか.激動であり天下大乱の兆しありである.
激動の震源アメリカの衰退である.大きく見れば,やはりアメリカは現代のローマ帝国.衰退過程に入った帝国である.いつという時期の予測は難しいが,いずれドルは崩壊する.これは法則である.しかしこの帝国は自らそれを受け入れることはできない.アメリカ内部にも,もうこれまでのように世界の警察ではありえないし,それを自覚してアメリカの新しいあり方を模索しようという見解もある.しかし一方,茶会運動のようなアメリカの夢よもういちどという動きと内部で広がる排外主義が結びついた力はもうおしとどめがたいように見える.とすれば,アメリカが現代のファシズムに向かうことは避けがたく,かつての日本のように,ファシズムとその崩壊という過程を経なければアメリカの再生は現実にならないのかも知れない.アメリカの中にいる良心派というかこのファシズムの流れのなかでそれに抵抗しようとする人々との国際的な連帯は可能なのか?
日本は来年,このファッショ化するアメリカに引きずられてこれと心中するのか,そこから独立して自らの道を歩むのか,この分岐に直面する.国家についてもそうだし,一人一人についてもそうだ.目前に二つの道があり,いずれに進むか迷ったら,険しく困難に見みえる道を選べ.これが人生においても国家においても鉄則である.しかし,日本の権力を握るまさに旧体制は,目前の楽な道,アメリカへの従属をつづける道を行こうとする.それは国民生活をますます荒廃させる道である.それに対して,澎湃としてはじまった市民デモなどの動きは,試行錯誤や失敗をふくみながら,それでも国家と人民のほんとうの自立をめざしている.そしてこの分岐の結節点にいわゆる小沢問題がある.その攻防はいっそう厳しく激しいものになるだろう.
私についていえば,ようやくこの歳になって,自分の立ち位置が定まってきたように思う.前にも書いたが,高校数学の周辺を掘りさげることを倦まずたゆまずやってWEB上に残しておく.周辺というのは必ずしも数学だけではない.誰かの役には立つだろう.これは頭の働くかぎり続ける.そういう営みをする人間として,情況に対し発言し,可能な行動はする.生あるうちはそれをつづける.思えばこの歳までまったく試行錯誤の連続であった.多くの人に迷惑もかけた.孔子は「四十にして惑わず」といったそうだが,こちらは還暦も数年過ぎて,ようやくそんなところである.
等々言いながら年がすぎる.皆さんよいお年を.