人と会う(続)

 10日に京都大学数理解析研究所にいった.研究集会『教育数学の構築』の最終日,三重大学教育学部教授の蟹江幸博さんの話を聞くためである.
 彼とはまさに40年ぶりの再会である.数学科の学部と院で同級だった.会うなり「お前生きていたのか」が彼の口から出た.無理もない.理学部共闘会議のストライキのときは話もしたが,専門も違いその後あまり会うこともなく,私が京都を出てから音信も途絶えていた.どうしているのだろうと何回かは思い出したが連絡つかないままだったと言ってくれた.
 次の講演者のときに2人で部屋を抜け出し,数理研の喫茶室でいろいろ話した.日本の数学教育の現状に対して,このままではいけないという認識は同じであることがよくわかった.こちらの考えなんかは全部書いているので青空学園の名刺を渡し,これからの交流を約束した.
 教育数学というのはまだよくわからないが,彼がレジュメで

教育数学は教育という視座を通して数学を見るというものである.提示すべき数学の在り方を問題にする.伝える数学が,社会にどのような影響を与えるか,また逆にどのような影響を受けるものであるかをも視野に入れるものでありたい.

ということに同意する.私は前に数学セミナーに一文を寄せたとき,その最後に次のように書いた.立場は異なるがこころざしは同じだと思った.

私は,いまこそ,100年前のクラインにならって,現代日本における『高い立場からみた初等数学』が必要だと思います.初等数学を現代数学から系統的に基礎づける.それを学ぶことで数学教育に携わるもの自身がわかる喜びを知り,逆に現代数学はこの社会での存在意義を獲得する.そんな協同の取り組みがどこかではじまることを願って,筆をおきます.

 クラインの「初等数学」の「初等」は elementary だ.一方ブルバキの「数学原論」の「原論」も element だ.element は初等であると同時に原理・原論であるということになる.要素に還元することが,原理を解明することであると同時に,要素に還元するならばそれは万人の理解しうることとなる,という基本思想である.これは普遍性がある.教育数学もこのような思想を実践しようとしているように受けとめた.これについては,『私の考え,私の願い』でも書いている.ささやかでも青空学園でやってきたこともそれをめざすものだ.
 ということで,いろいろ実りのある再会であった.午後は運動をかねて京大から東にいって昔下宿していた北白川まで歩き,それから銀閣寺の横を抜けて法然院を通り岡崎から四条河原町まで歩いた.そして大阪に戻って授業.終わってから歩いていると,数年前に教えたTさんとばったり.研修医の2年間もこの3月で終わり,4月からは大学病院で勤務医.妹が今年国試とのことだった.
 それにしてもムバラクはしぶとい.権限は副大統領に渡すが大統領職に留まる? ムバラクがしぶといのは.後ろにイスラエルがいるからだ.もしここでエジプトにパレスチナと連携する政権ができたら,イスラエル存亡の危機になる.必死に時間を稼ぎ,親イスラエル政権を残そうとしている.しかし,いったん解放され祝祭空間に躍り出た民衆の力は押しとどめることはできない.この経験は一人一人の体の中で忘れられない.下からの民主化は不可避である.