震災以降

われわれは大震災以降の時代を生きはじめた.この時代をどのように生きるのか.震災以前の体制に戻すように生きるのか,新しい時代を生みだしてゆくのか.問題はこのように立てられている.新しい時代の構想,ここからいろいろ考えてゆきたい.そう思って,表題をかえた(28日).
さて,問題作成が一段落し,昨日『射影幾何』の構成も見直した.これから続きを作っていく.かかりはじめると没頭するので,その前に『解析基礎』と『高校数学の方法』を読み直した.ときどき読み直し手を入れるのだが,今回読んでみて,直すところはほとんどなかった.2010年の問題を追加しようとも思ったが,それは切りがないのでやめた.『高校数学の方法』を勉強したうえで自分で新しい問題を解けばよい.ところで『解析基礎』のまえがきのなかで次のような一文を再発見した.自分で書いて忘れている.

1970年代初頭,日本の教育は大きな転換をした.このころ中央教育審議会は「人的資源の開発」ということを言いはじめる.「人的資源」とは生産活動に必要な技術をもった労働力ということそのものである.人を人として育てる教育から,人を資源として使えるようにする教育への転換である.この能力を開発するのが教育だというわけである.教育を生産活動の一部とする考え方が表面化する.人的資源という観点からすれば,現実を批判するよりも,ひたすら従順に働く労働者のほうが都合がよいことになる.現実批判力より感性的理解による現状肯定の教育.この方向性はいまも変わっていない.数学の教科書の変転の背景である.
人間を生産のための道具と見なすことが行きつくところまでいったのが2009年年頭の世上である.こんなことをやっていては本当にだめである.人間の価値は「人的資源」としての優劣で決まるものではない.人間にとって何らかの生産につながることは大切なことだ.それが世の中とのつながりだからだ.だから仕事を求める人に仕事を保障する.それは人間の尊厳を互いに尊重するということだ.
そのうえでしかし人間は生産資源ではない.人そのものとして,まじめに働き,ものを大切にし,隣人同僚,生きとし生きるもの,たがいに助けあって生きてゆく.それが人間というものだ.そういう人間を育てなければならない.経済は人間にとって目的ではない.あくまで手段である.このことを忘れないようにしたい.そうすれば,学問においても自分自身の理解と照らしあわせて学び,心の底からの納得を求めることができるようになる.

1970年代初頭,教育政策がこのように大きく変わるときに,それと一体に日本の電力政策もまた原発を基軸とするものになったのだ.一言でいえばこの40年,すべては経済優先でやってきたのだ.すべては経済であった.その立場にたったものが勝ち組になる世であった.しかし経済優先で原発を運転すると必ず事故を起こす.それは先に論証した.「人的資源」として教育を進めれば,学力はかえって低下し学校は荒廃する.これも事実が証明している.
東北大震災と福島原発事故は,この40年の流れに対して,立ち止まり,見直し,考えなおし,そして生きなおすことを,求めている.そのように受けとめなければならない.この40年流れてきた体制に戻る復興は,復興ではない.復興は,経済優先,カネ優先の世の中から,人の世を復興させるのでなければならない.
68〜70年の大学闘争の後,既成の体制,枠組み,旧体制の諸々からできるだけ自由なところに立って,人間としての立場で考えようとしてやってきた.教員を辞めて以降はずっと自由業だった.もっと切実に,もっと根をつめて,もっと原則的に,と思いながら,結構怠惰な人生でもあった.頭の働くうちに,やりかけのことは仕上げ,自分の考えてきたことを深めまとめ,そして可能なことを為すこと,これを課していきたい.
追伸:この頃学校ではやる回文を教わる.「保安院全員アホ」.まったく.昔は京の三条河原にときの権力を批判する落首が出た.これと同じものだ.