3・11後四ヶ月

3・11東北大地震以後四ヶ月である.福島原発事故の後始末にはおそらく1世紀,100年に近い年月を必要とするだろう.東北大地震は,大逆事件幸徳秋水らが刑死し,日本が軍国主義の道をひた走り始めてから100年目に起こった.そして100年前に形成され,維持されてきた官僚制の無責任体制が,福島原発事故の深因だ.そしてこれは,おそらく次の100年を要する歴史を画する大事故となった.
最近ではNHKのようなところにも,これまで原発に異議を唱えてきた学者や技術者が登場する.日本の大手新聞や放送は,かつて軍国主義をあおりその旗を振っていながら,敗戦となると昔から民主主義者であったような顔をして,平和日本の旗を振った.それは忘れないようにしよう.その偽善と欺瞞に抗議したのがむのたけじさんだった.その偽善と欺瞞が原子力の平和利用という欺瞞につながったのだ.
それはともかく,きのうのNHKの討論でもそうだし,その他の議論でもそうなのだが,原発議論が技術論に陥っていると思う.原子力の制御が技術的に不可能なのか,あるいは不可能ではないのかと言う議論は堂々巡りである.前から言っているように現在の原発の問題は技術の問題ではなく社会体制,世のあり方の問題である.原発が,経済的利益,金儲け,資本の論理のもとで運転されるかぎり,必ず事故は起こるということである.資本主義は原子力を制御できない.これが基本である.技術問題として1000年後にも原子力の制御が不可能かどうか,それはわからない.
 ・経済主義,金儲け主義のもとで原発事故は不可避だ.
 ・原発廃棄物処理は技術そのものが確立していない.
この2点でただちに今の原発はすべて止めるべきなのだ.この間の世間の議論の方向で見るかぎり,原発は順次停止,脱原発自然エネルギーという流れはもう決まった.経団連などの老人が抵抗しているが,この方向そのものはかわらない.福島原発事故は資本主義というものの本質を垣間見させた.露呈した資本の論理の非人間性から教訓をつかむかどうか,これは今後のわれわれにかかっている.次世代のためにもう少し思索をつまねばならない.
現在,大手新聞やマスコミ,東電,経産省,御用学者など,彼らが言えばいうほど国民は信じない,ということになっている.日本の文教政策はまさにこの100年,お上のいうことは疑わずに信じてついつゆく国民をつくることだった.先の世界大戦と原発政策はまさにその成果であった.それが今回初めて大きく破綻した.東電はだましていた.しかしだまされていたわれわれにも責任はある.二度と彼らを信じてはならない.これはまさに血の教訓だ.あまりにも大きな犠牲を払って,愚民政策はうち破られたのだ.福島原発事故が日本を変えたのだ.犠牲の大きさのゆえに,またそれをもたらした旧体制への怒りのゆえに,これがいいことだと直ちにはいえない.しかし,信じられるのは自分の頭で考えたことだけだ,ということが広く人々のものになることは,一歩の前進だ.
ドイツやイタリアの脱原発は,二度にわたる世界大戦の愚かさの経験に裏づけられている.二回失敗しないと歴史に定着しないのだ.日本は,第二次大戦と原爆,そして今回の原発事故と,これで二回愚かさの経験をした.ようやくに人々が自分で考えるようになる.これが本当に日本歴史の前進になるかどうか,まだまだ多くの問題が内にあり,何ともいえないが,歴史が大きく動いていることはまちがいない.
さてあいかわらずセミが鳴かない.これはあちこちで報告されている.去年からその傾向があったので,原発事故が原因ということではなさそうだが,梅雨があけたのにセミの声が聞こえない夏の公園は異様である.夙川上流ではわずかに鳴き声が聞こえるが弱々しい.この弱々しさがが気にかかる.何かあることはまちがいない.