祇園祭山鉾

祇園祭の時節である.暑い京都の夏と祇園祭は一体だ.この祭は明治の神仏分離までは祇園会といわれ,佛教を背景としていた.新嘗祭のような収穫の祭や新年の行事が神道を起源とするのと少し違う.「少し」というのはいずれにも神仏習合があるからだ.祇園会の起こりは869年(貞観11年),薬師如来の化身牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったのがその起源であるという.平安の頃,為政者による鎮魂と疫病封じに始まったのだ.
そして鎌倉時代を経て室町時代後期,戦国の時代もまた天変地異の多い時代であった.このころ祇園会は京都で力をつけてきた町衆によって運営されるようになってゆく.京都の街はつい昨日のことのように室町時代の痕跡をあちこちに見ることができる.この数日京都の街角には鉾が立てられる.室町時代のころもこのようだったのだ.写真は鶏鉾である.鶏鉾の後ろの装飾は豪華な織物でその画材はトロイ戦争である.力をつけた町衆が輸入したものだろう.
さて,祇園会がはじまった貞観11年は,同じ頃東北地方で今回の地震津波に匹敵する大地震と大津波,いわゆる貞観大地震があった年だ.それから1142年の時が経ち,今年も祇園祭の時節である.東北で大地震があったときに始まったことを,今年はとくに銘記しよう.京都の祭の中でも祇園祭にもっとも奥に深さを感じるのは,それが疫病や天変地異の犠牲者への鎮魂の祭だからだ.神戸でいわゆるルミナリエの光のまつりをするようになったのも,阪神大震災犠牲者への鎮魂である.
写真は点灯された月鉾.夜の四条通りとそれに直交する町筋は,どこもこんな光景である.今年は土曜日が宵山で日曜日が巡行だ.この1000年,実に日本列島弧の自然は過酷であった.天変地異,飢饉,疫病の流行がくりかえされてきた.亡くなったものをまつり,その思いを受けついで,人間はこうして代を重ね生きてきたのだ.人々はまつりによって,亡くなったものの無念を鎮め再び立ちあがって歩んできたのだ.それが日本列島弧での人生である.いや人間そのものであるかも知れない.祇園祭はそのことをつくづくと思い起こさせる.
追伸:16日の夜,NHK宵山の中継や鉾をあずかる町屋に入っての取材を放映していた.おしなべてNHKが配置した女性アナウンサーは何もわかっていない.すごさもわからず「スゴイ」というのにはうんざりする.そのなかで,かつて稚児を勤め、いま鉾の保存を担っている人は,祇園祭と東北大地震を結びつけて話していた.町衆は祇園祭が鎮魂の祭であることを知っているのだ.京都の人間は今年が特別な祇園祭であることをわかっていると思った.