アブラゼミ

 ようやくにアブラゼミが鳴きだした.写真はお隣の家の壁でなくアブラゼミ.今年のセミの遅さは天変地異の渦中にあることを教えている.それでもアブラゼミの声を聞くとほっとする.あちこちで抜け殻も見るようになった.写真はアブラゼミの抜け殻.その他にニイニイゼミクマゼミの抜け殻も見た.
 セミがなかなか鳴かないのに,トンボはナツアカネ,ムギワラトンボと盛んである.六甲山系の麓のこの辺りは,まだ少し自然が残っている.とはいえ,30年前この辺りに来たときには夙川もまだ清流で,タイコウチやミズスマシがいた.それは上流にマンションができたころから急速にいなくなった.左下写真は農業用水にとまるムギワラトンボ.シオカラトンボのメスである.
  昔,幼いころ,宇治川に面したところに住んでいた.昭和28年の大水で床上まで浸水し,その後引っ越したが,あの川面の思いでは忘れがたい.夜の川面は,独特の香りがある.ゲンゴロウやガムシのような甲虫,そしてカゲロウやミズスマシなどの脈翅類が光に集まり飛び交う世界であった.あの世界はまさに魑魅魍魎の世界.その面影を夙川渓谷上流に住みはじめたころ見ることができたが,それももうない.
 私の母が「昔は家の横の用水にもゲンゴロウがいた.」と言っていたのを思い起こす.母は京都市周辺の農家の人だった.戦前は京都市内にもゲンゴロウがいたのだ.それからどんどん自然が失われてきた.いったい人間は何をしてきたのだろう.経済のまえに目的を失いそのあげくこれだけの格差社会になり果てた戦後だった.経済は人間にとって手段であって目的ではない.今ほどこの問題が切実なときはない.
 福島だけではなく,基準値を超える放射性セシウムに汚染された稲わらをえさとして牛に与えていたのは山形、新潟3県の農家に及び牛は計648頭が出荷されていた.それで牛については全頭検査をするという.しかし,人間はどうなのだ.子供はどうなるのか.100Km離れてこれだ.福島県全体が汚染されている.なぜ福島の子供の内部被曝を放置するのか.現地の親の心配をそれに代わって言うことなどできない.しかしこれは明らかに棄民政策だ.これ許されない.明日は昔の知りあいに会いに三重大学まで行ってくる.