古典基礎語辞典が来た

古典基礎語辞典』が来た.予約していたので,刊行と同時に来た.
私はこれまで,近代の日本語に深い違和感をもってきた.それはおそらく高校生の頃からだ.主な言葉を漢字で書いた日本語に,しっくりこないというか,深いところから言葉が出てきていないというか,そういう感覚をもち続けたきた.とりわけ論理の言葉,ことわりの言葉にそれを感じてきた.古来以来,日本語は数学的ないわゆる論理の表現がなかなか育ってはいない.そこに近代になって無理をして論理の言葉を割り込ませた.その違和感は大きかった.
とはいえ言葉としての日本語が成立している以上,そこにはその言葉なりの論理がある.近代に造られた言葉を見直し,日本語固有の論理表現をくみ上げ洗練したい.そのように考えたとき,その前提として,日本語の構造を決めているような基本語をもういちど自分で定義し直さなければならないことに気づき,「日本語定義集」を,いわば趣味として余暇に勉強して書きとどめてきた.そのとき参考にしたのは,小学館の『日本国語大辞典』(1972年,初版の方,全20巻)と大野先生の『日本語の形成』だった.『日本国語大辞典』はこれが出たとき,確かまだ院生の頃だと思うが,いつかは読むときがあるような気がして,揃えてきた.我々のようなものには第一次資料にあたることはできない.『日本国語大辞典』のように網羅的に集めたものが必要だった.
言葉を定義するというのは,人生の経験として学んだ言葉の意味や意義を,辞書を通して古人の用法と照らしあわせたうえで,自分の言葉で書き直すこと.これが「定義」の定義である.本当はこれが基礎的な言葉の訓練として小さい頃からなされなければならない.しかし日本の学校では解釈は教わるが定義するということは習わない.定義するということ自体は数学から学んだ方法論だ.またアランの『定義集』なんかにも影響を受けた.
日本語が,古くからの縄文語と,紀元前10世紀に耕作稲作文明とともに入ってきたタミル語との混成語として成立したことはまちがいない.昔高校の世界史で,紀元前13世紀頃アフガニスタンとインドの境にあるカイバル峠を越えてアーリア人インド大陸に進出したということを習ったとき,その大きな歴史に心を動かされ,またカイバル峠にあこがれた.同時に,ではもともとそこに住んでいたドラビダ人はどこへ行ったのかと思った.その疑問は長く放置していたが,肥沃な河川流域から南インドデカン高原に南下したのと,一方,東南アジアへ広がり,その一部が日本列島弧にまで達していたのを,大野先生の岩波新書の『日本語の起源』なんかで知った.そのとき,そうか日本にも来ていたのかと納得した.それ以来大野先生の本はほとんど読んだ.その後,初期の弥生の遺物の炭素年代測定から紀元前10世紀も確定し,時間の具合もあっている.
私は日本語についてまったく素人なのだが,しかし考えてみれば言葉は素人玄人関係なくみな使う.つまり日本語を母語とするすべてのものが,日常の言語生活として,言葉を定義してゆく.それが人間が生きるということなのだ.そのうえでなぜ定義集としてまとめることを試みるのか.言葉の構造と一体に形成されたこの世界をつかむことわりが,もういちど人びとの手にとりもどされ,新たな世のいしずえとなることを願うからである.定義してゆくという人と言葉との関係が,日本語世界にも生まれないかぎり,この言葉とそれによって作られている世間に先はない.
そのように考え,日本語を母語とするものとして10年ほど前から少しずつ勉強してきた.しかしこの2,3年,やや壁にぶつかり,また射影幾何などの方が忙しくてなかなかすすんでいなかった.今回の『古典基礎語辞典』はタミル語との関連がその中に書かれている.これは嬉しい.必要なとき以外は『日本語の形成』をひかなくてよい.千数百ページあるが読むつもりだ.射影幾何とガロア理論と確率まで勉強して,教育数学の素材を一応まとめたら,その後の年月はこの辞書を「読む」ことに費やすことになるだろう.今この本が出てそれを読むことと,311後の世界をどのように生きるのかという問いを考えることと,深いところでつながっているように思う.