The Days of Apathy are Over

The Days of Apathy are Over.これは先日カリフォルニア大学バークレー校での集会で,ロバート・ライヒ教授が演説した一節である.'The days of apathy are over': Robert Reich speaks to Occupy Berkeley protesters.ここに写真もある.それを伝える上記ブログの一節:"The Occupy movement is beginning to respond to the crisis in democracy," "The days of apathy are over, folks. Once this has begun, this cannot be stopped and will not be stopped."「占拠運動は民主主義における危機に直面してはじまりました.」「皆さん,あきらめと無関心の日々は終わったのです.占拠がひとたびはじまれば,これを止めることは出来ないし,止めはしません.」「The Days of Apathy are Over」で検索すれば,ネット上にはライヒ演説の映像もある.聴いてみよう.
強欲な資本主義=新自由主義がこの四半世紀,世界を荒らしまわってきた.それは搾取・収奪という経済問題であると同時に,それ以上に,人間の尊厳に対する攻撃,破壊であった.2011年,チュニジア,エジプトのアラブの春にはじまり,スペイン,ギリシアの大衆行動,日本の脱原発,TPPに反対するデモと座り込み,そしてアメリカ各地の占拠運動.その根底にはこのような社会のあり方を拒否し,人間としての尊厳をうち立てようとする若者の闘いがある.われわれ老世代は,これに共感する.出来うることはしなければならないと思う.先だって,90歳にならんとする瀬戸内寂聴さんが,「生きるということは行動することだ.こんな日本をかえるために思いきりやりなさい」と言っていたのは,まったくその思いである.
しかし,歴史は曲がりくねっている.エジプトもまた永続革命は不可避である.そしてアメリカでも日本でも強欲資本主義は最後のあがきとしてファシズムを目指す.アメリカの茶会運動,日本の橋下現象.イスラエルの暴発もありうる.ファシズムか人間の尊厳かという曲がりくねった厳しい時代に入るだろう.
それでも世界は新たな段階に必ず至る.経済は方法であり手段であって目的ではなく,人間は生きるために経済を組織するのであって,カネが目的ではない,そういう人類史の新たな段階に至る.世界はいま,人間の原理にもとづく世のあり方を求めて動いている.原子力村を形成してきたような根拠なき虚構の知を解体し,自然と交感する場を甦らせなければならない.これが歴史の要求であり,現代の基調である.われわれは歴史の曲がり角を否応なく生きている.