大阪選挙と歴史の課題

nankai2011-11-28

大阪府知事市長選挙が終わり,事前の予想通り橋下・維新の会が勝った.これは一地方の選挙だが,かつてヒトラーミュンヘンで一揆し,ベルリンへ進んだように,これから維新の会の動きは全国化する.ただし,彼がヒトラーであるかどうか,それだけの力があるかどうか,現在の情勢下でどの方向にゆくか,すべてこれからである.一方,次のことはまちがいない.ヒトラーの出現が,第一次大戦後の戦後民主主義だったワイマール体制の終わりを告げたように,維新の会の躍進によって戦後民主主義体制は名実ともに終わりとなる.戦後民主主義体制の枠内の平和運動や労働運動,議会政党もまたその役割を終えてゆく.戦後民主主義とは代議制のもとの建前としての民主主義,その実,偽りの民主主義だった.このもとで日本の原子力政策も進められた.原爆の経験をもちながら,原発を全国に建設するということが行われ,その果ての福島核惨事であった.
維新の会の運動はいわば強権的方法による戦後体制への挑戦である.一方,日本でもようやくに脱原発のデモやTPPに反対する運動が街頭に出て,直接民主主義の行動が開始されたが,これがもう一方の側からの,つまり人々のやむにやまれぬ実力の行使を通した戦後体制への挑戦である.ではこの維新の会の運動はファシズムとして全国化してゆくのか.くりかえすと,これはすべてこれからの問題である.つまり,偽りの民主主義であった戦後体制とその下でなされてきた諸政策に対する闘いにおいて,強権的でファッショ的な運動が力をもつのか,人間原理にもとづく行動とその運動の側が力をもつのか,それはこれからの問題であるということだ.すべてはその力関係で決まる.強権的でファッショ的な運動が力をもてば,それは結局強欲資本主義に操られヒトラーと同じ最期となる.人間原理の側が力をもてば,経済を方法とおさえてそれに振りまわされない歴史の段階をひらくだろう.いずれはそこに至るとしても,しかしどれだけの紆余曲折を経るのかはわからない.
これはおそらく世界的な問題だ.アメリカの茶会運動や欧州の草の根からの右翼運動,その一方で,チュニジア,エジプト,そしてまたギリシア,スペインにはじまりアメリカにおよぶ街頭占拠運動.この対比とまったく同じ構図なのである.草の根からの右翼運動の後ろには,表から見えない形で強欲な金融資本がつく.再びの戦争を狙っている.それはかつてもあったことだ.それに対して人間原理の運動の側は,この二十年来の南アメリカでの運動を先駆としつつも、理論においても運動の方法においても歴史的に経験の少ないことであり,すべてを一から生みだしてゆかなければならない.試行錯誤であり,紆余曲折は避けがたい.われわれはいま,おそらくこのような歴史的創造のまっただ中にいるのだ.
この試行錯誤のなかで理論が求められている.一つは闘いの理論である.資本主義本国における占拠運動もまた内部で分化と再編の渦中にある.分化は必ずしも分解を意味しない.討議を通した行動の統一の下,思想的には分化し,そうすることで思想をきり拓き耕す.もう一つは、経済は人間にとって方法であり手段に過ぎないとして,では何によって世を編成するのか,そこにおける生産関係はいかなるものとなるのか.経済は手段として必要であり,またそれなくして生存はない.南米の経験は貴重である.このような理論自身が運動の中で成長する.資本の横暴を直接行動の力で規制しつつ,その運動の中で何が大切かを共有してゆく.2011年は,このような新しいことが緒についた年であった.ここには希望がある.写真は季節外れのサクラ.毎年この時期に花をつける.