師走になる

十二月,師走である.「師走」というのは当て字であるらしい.師匠も走る忙しい月ということではない.本当は陰暦一二月のことなので、今日から師走と言えるのかどうかわからない.ただ、秋が終わり冬の時節となったことはまちがいない.冬にしては今年は暖かい.北風も吹かない.この程度の気温変動は,地球ではくりかえされてきた思うが,昔の冬は,しもやけのかゆみのお思い出とともにあり,また京都盆地の底冷えとともにある.変動の幅からいえば,近年はずいぶん短期間で気候が変化したのはまちがいない.
写真は夙川渓谷上流.12月はもう葉も落ちて冬枯れでなければならないのだが,今年はまだ紅葉で秋深きというべき時節柄である.この十年来血圧が高めであったので,数年前から朝,30分は犬を連れて歩くようにしている.今年の健康診断では平常値だった.歩くことが大切だ.写真はいずれもその朝の散歩道で撮したもの.
この秋,ポンスレの定理の古典的で射影幾何的な証明が自分なりに出来た.解析的な証明も再構成した.いくつか証明しないままであったところも考えなおして証明できた.そのたびに増訂してきた.一からこちらで再構成するということでは少しの前進があった.このような古典的射影幾何はもう本でもなかなか手に入らない.こうして再構成して文献一覧とともにウエブ上に置いておけば、いつか誰かの役には立つだろう.自分でやってきたことを教育数学の素材集めと位置づけたのもこの秋だった.
原発反対デモやその他いろいろなところに出かけ,いろんな人と知りあい,話せるところでは語りあうことができた.それがどうした,というなかれ.人間はこのようにして生きてゆくものなのだ.高校数学の土台を教えながらいろいろ勉強している人間としての行動であり発言である.また高校生の論証力の低下という事実も問題意識のひとつにあってはじめた『定義集』を,もういちど書いてゆく決意が出来た.しばらくは方法の模索である.生きている間には出来きれないだろうことを,こつこつやってゆくのはいいことなのだ.大きな歴史としての,帝国アメリカの凋落と新しい人間関係・社会組織の試行錯誤の時代,そのなかでの小さな営みなのだ.十二月は,この一年を省みながら,来る年にどんなことをするのかを考えるときである.
昨日の一文もこの一文も京都への行き帰りの電車の中で書いている.WiMAXというのはなかなか便利である.もっと早く契約すればよかったとやや後悔している.