終い弘法と錦市場

 今日は授業がなかったので,東寺の縁日である「終い弘法」に参り,その後錦市場まで行ってきた.
 縁日の露店は懐かしい.故郷の宇治の県(あがた)神社の1月5日の初県の例祭,6月5日の県祭と,年に二回は実家の前の道にも露店が並んだ.6月5日は夜店,それも3時4時まで出ている.小学2年からそんなところに住んでいたので露店の風情は懐かしい.東寺は21日,北野天満宮は25日が縁日で露店が出る.ということで,ときどき時間があればいく.
 最近は時間がなかったのだが,今年の冬期講習はこの週が空いていたので,久しぶりの東寺である.それほど買おうというものはなかったのだが,いろいろ古物を見たり,古本を読んできた.そして人混みを写真を撮りながら歩いてきた.池に映る東寺の五重塔.今日は本堂の方には行かなかったが,護摩を焚き,線香の煙にあたる,不動明王のところには参ってきた.
 それから四条烏丸上がるの錦市場に行った.ツアーの人や,海外の観光客も多く,たいへんな賑わいだった.錦の歴史は古い.平安京が開かれころからある.幾度かの盛衰をくりかえしながらも,もう千三百年もこの地に市がおかれ,年の瀬にはこうした人出で賑わってきたのだ.
 私の方は,からすみを買おうかと思っていたのだが,今年はこの春台湾に行かれた先生に買ってきてもらって食べたのを思いおこし,今日は小ぶりの「くちこ」があったのでそれと,2年ものの「フナ寿司」を買った.くちこはなまこの子をあつめて塩漬けにしたもの.フナ寿司は琵琶湖の特産.なれ寿司の酸味が好きである.海山の恵みという言葉が実感できる.京都の人間はこうして若狭や琵琶湖でとれる海産物を干物にしたり寿司にして日持ちするように工夫し,味わってきた.
 若狭の原発が惨事を起こせばそれも終わりである.千三百年の歴史もそこで断たれる.そういうことが今年福島で起こったのだ.あそこもまた海山の恵みとともにある長い歴史があった.それが今年断たれた.断たれたのだ.それがいかに取り返しのつかないことであり,大きな喪失であるかは,これからいよいよ明らかになる.そのうえで,人間として立ちかえる根拠はあるのか.それが問われる時代に生きていることを,おさえておきたい.