19世紀西洋

ようやくにケーリーによるポンスレの定理の証明を計算した.サーモンや岩田至康さんの本に結果だけ書いてあることを,もういちどやってみるという課題であった.まだ未解決なところもあり,さらにこの形でのポンスレの定理と,ポンスレ自身による定式化との同値性も示しておかなければならない.月,火曜日は授業がないので,ここでやってしまおう.しかし実際に論証を書いてゆくとまた新たに考えるべきところが出てくるのはまちがいない.退化した場合の考察がなかなか難しい.『射影幾何』−「ポンスレの定理」−「線型代数による証明」である.今考えているところまでつねにPDFファイルは最新にしてある.HTMLファイルの方は,読んでくださっている方の誤植などの連絡を受け,また自分でも読みかえして一段落するまで,大きくは変えられない.
それにしてもケーリーの多産さは驚くべきものだ.ケーリーの時代,19世紀中葉は西洋がもっとも輝いていた時代である.西洋の繁栄は15世紀以来の奴隷貿易や植民地支配の物資的基礎のうえに得られたものである.非西洋のわれわれからすれば,そのような多くの犠牲のうえに実現した西洋の輝きに,一体どれだけの価値があるのかということにもなる.このような西洋の輝きの一方における,アフリカやアジア近代の困難こそわれわれの直面する問題である.
しかし,同時にその西洋の輝きとその思想的な結実は,大きな犠牲のうえに実現した人類の成果であり,そうであるのならその遺産を,まさに大きな犠牲を払って人類が得たこととして,大切に引き継がなければならない.これが青空学園の立場である.19世紀の数学はもう出来上がったこととして,現代の数学専門家には余り顧みられない.事実また,それをはるかに一般化したなかで研究は行われている.しかし,教育数学という立場から言えば,19世紀の数学は初等的な分野においてこそ,もっと現代に生かさなければならないし,またそれだけの豊かな内容がある.まったく時間も力量もないのであるが,そして15年ほど前に受験問題を一般化する中で考えたことの,その続きの範囲でしかないのであるが,19世紀の数学で教育的意味は大きいが,必ずしも現代には直接はつながっていないところを,少しでも再構成しておけば,誰かの役には立つだろうと考えている.
西洋は,かつて輝いていたその時代の蓄積でこれまでやってきた.1950〜60年代に多くの植民地が独立し,繁栄を支えた物質的基礎はなくなった.それ以降も,政治力や軍事力,そして文化力とも言うべき力で,優位性を保持してきた.しかし,もはやそのようなごまかしもきかない段階に至っている.それが昨今のEUの経済的危機だ.ギリシアにせよイタリアにせよ,もうそんな生活のできる物質的基盤はなくなっているのに,支配層はいままで通りやろうとする.結果,階級格差が拡大し,富を独占する1%に対する怒りが爆発している.しかし問題の本質はユーロではない.やはりドルである.アメリカ金融資本がその危機,ゆきづまりを先延ばしにするために,EUにいろいろ仕掛けている.強欲な資本主義が不可避に破綻し終焉を迎えているときに,それを少しでも引き延ばそうとしている.
こういうときであるからこそ,西洋が輝いていた時代の遺産を人類の遺産として引き受け,次の世代に繋いでゆかなければならないと,深く思う次第である.
追伸:アメリカの占拠運動のその後が人民新聞に紹介されている.<ウォール・ストリートから「自宅を占拠する」運動へ>である.このような住宅占拠運動は1990年代のブラジルやアルゼンチンでもあった.それが今日の南米政治の土台である.とすれば,このような運動を基盤にアメリカもまた大きく変わるのか.あるいはその前に茶会系ファシズムとの大きな闘いが不可避なのか.いずれにしても雷鳴胎動の2012年である.