ある知事の正論

埼玉県知事が13日の記者会見で東電について次のように発言したことを昨日知った.埼玉県の公式ページの中の知事の言葉

「何なんだろう」と。この会社というのは、これだけ満天下に迷惑をかけて、誰一人まだ警察にご厄介になってもいないという。
 大体、普通ガスタンクが爆発すりゃね、御用になったり、デパートが火災になったって御用になるのに、誰もまだ御用になってないようなね、こういう不思議な会社なんですから。「どういう会社なんだ」というふうに言いたいですね。「誰か自首するやつはいないのか」と言いたいよね。

東電核惨事は人災ですらない、犯罪である.これはこれまでの私の意見であるが,私がここで言うのと知事が記者会見で言うのとは,わけが違う.この埼玉県知事の発言は,内容的には至極当然なのであるが,政治状況を考えればたいへん勇気ある発言だ.これをそのまま公表している埼玉県には敬意を表したい.先日「人民新聞」に「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表世話人NPO法人青いそら理事長」の佐藤幸子さんの見解が載っていたが,まったく「犯人がわかっているのになぜ逮捕されないのか?」である.
東電核惨事から十一ヶ月.これだけ明白な犯罪が行われているのに、日本の検察や司法は東電の捜査を一切行わない.その一方で,政治的反対者には,でっち上げでも何でもありで、追い落としをはかる.一方,近年はこのような問題を追及し,ネット上に公開する市民も増えた.「一市民が斬る!!」や「八木啓代のひとりごと」など読ませてもらってそう思う.これらの市民ブログは現代の国家とその権力のあり方を明確に暴いている.問題は,この国家権力の腐敗をいつまで許しておくのか,である.
私の方はこの間「定義集」を再開して,いろいろやっていた.高校生に数学を教えてきて,本当に論理的に考えることが出来るかどうかは,その生徒の言葉の力が決めることがわかった.ところが,その言葉そのものが,日常的にもテレビや新聞や読み物でも,感性的につかむように,日本語世界ではなっていて,日本語教育でも言葉の仕組みと仕組みを通した論理的な意味の伝達の訓練はなされない.このような現実が自分の若い頃の問題意識が結びついて,十年ほど前から少しずつ勉強してきた.しばらく出来ていなかったのだが,再開した次第である.毎日少しずつでもやってゆきたい.自分の内でやることがどこかで時代の課題と結びついていればいいのだが,と思いつつ.