春の訪れ

春を感じる時節となった.この世界にこんなに悲惨があり残酷があり,また崇高があっても,季節はめぐる.春の訪れである.「訪れ」は「音ー連れ」,音とともにやってくる.「おと」と読む音は,人間がその意味を直ちにはつかむことのできない外の世界からやってくる音そのもの.「ね」と読む音は「本音」や「音をあげる」のように人間にその意味することが分かる内からの音,また「笛の音」のようにそれを言葉として聞きとる音.春は外からの音(おと)とともにやってくる.現代はあまりに騒々しく,春の音を聞きとることができないほどである.昔はこの時期になると竹竿を売る物売りの声が表の街道に聞こえ,川面のせせらぎの音,風の音に春めく兆しを聴きとることができた.
昨日でやっと問題作成の仕事が終わった.締め切りに追われて,というよりだいぶ過ぎて,考え続けるのは,頭の体操としては大変よい.その代わり寝が浅くなり,このままではどこかで熱でも出す.そして昨日の夜から今年の入試問題を解きはじめた.問題作成からそのまま移行したので,作る立場からの工夫をいろいろ発見したりする.3月半ばまでに,解説授業のある京大,阪大,東大の問題は最低解いておかなければならない.
しばらく世の動きを見ているだけであった.日本国内でも,シリアやイランに関する国際関係でも,アメリカや欧州の問題も,その本質的なところがいろいろ表に明らかになってきたように思われる.イスラエル占領軍に対するパレスチナの民衆蜂起「インティファーダ」が,アラブ各地の民衆蜂起へと連らなり,イギリスの若者の暴動,アメリカの「99%」の蜂起と欧米諸国の民衆の反グローバリゼーション蜂起へと拡大している.沖縄の人々の長年の闘いが,日本の反原発や反検察の抗議運動につながっている.その一方でこれに対抗する旧体制の露骨な支配強化も目立ってきた.
2012年は大きな転換の年になるだろう.冬籠もりを終え,いよいよ芽を吹く時節である.1年の長さでいっても,戦後60年の長さでいっても,近代120年の長さでいっても,そう言える.経済第一から人間原理への転換.人間,沈黙の言葉を含めてであるが,言葉を失わなければ甦ることができる.なし得ることを行い,見るべきほどのことは見ようではないか.写真は白梅,紅梅.