カワセミに会う

nankai2012-04-07

昨日で春期講習も終わり今日は夕方犬を連れて散歩.夙川でカワセミに会った.1年に1,2度会えるくらいなのだが,そしてそれはいつも初夏の頃なのだが,この時期に会えるとは思ってもいなかった.カメラはもっていたが望遠レンズではなかったので,これが精一杯.点のように写っているのを拡大した.
公園の花もいろいろ咲いている.左の花は雪柳(ユキヤナギ),右の花は連翹(レンギョウ),いずれも西宮市神園公園である.下はその近くの畑の端にある山桜.これが野生種の桜である.日本列島弧の多様な生きものが新たないのちを育む.縄文の時代,弥生の時代,そして歴史時代と,こうして年々いのちをつないできたのである.
昨日,一緒になった数学の先生と話した.その先生は農業もしておられて,一昨年は鮎の臓物の塩辛,ウルカをもらったこともあるのだが,いろいろ今年の桜は遅いとか話すなかで,福島ではまったく「国破れて山河もなし」であるし,若狭の原発が惨事を起こせばこちらも同じことだ.この点で話しは一致した.実際,電力会社の責任は一向に問われず,人々は生活を一方的に破壊され,それに対する国家社会の保障はまったく乏しい.これが国破れてと言うことだ.そして住み慣れた故郷を追われる.二度と戻れない.山河もなし,である.
私は故郷のある人間だ.京都の南東,宇治である.福島で起こったことをこちらにひきつければ,若狭の核惨事で琵琶湖や宇治川が汚染され,宇治に人が住めなくなる,ということなのだ.この期におよんでそんなことありえないというなかれ.いつかは分からないが,いずれ東南海地震が起こることはまちがいない.前にも書いたが,金儲けを第一とする資本主義の世に,原発の制御は不可能なのだ.とりわけ火山列島である日本列島弧ではそうである.
そこでどうするのか.停止中でも核燃料はそのまま置かれている.たとえ原発は廃止すると決めても,廃炉には長い長い年月がかかる.廃炉をビジネスにしてそれで儲けようとしている勢力もあるが,おそらくこれは資本主義が命運つきるよりもはるかに長くかかる.それでもその段階に踏み出さなければならないところにいる.いまこのことが問われる時代に生きている.戦後政治の危機,より深く西洋近代文明の危機,そして転換点.しかし転換させなければならない.可能性,必要性を現実性に転化するのは人間の力である.