源氏物語・宇治十帖

nankai2012-04-12

 タブッレット端末を手に入れて2週間が経った.その結果電車の中で「青空文庫」の書籍が手軽に読めるようになった.『源氏物語・宇治十帖』は訳にせよ通して読んだことはまだなかった.さいわい青空文庫与謝野晶子訳がある.それでこの機会にと十日ほどかけて宇治十帖を読み終えた.歌は訳ではないので少し意味のとれないところもあったが,地の文は読み通せた.
 宇治十帖の舞台となっている地は私の子供の頃の遊び場である.八の宮の宇治邸と言われる建物群は宇治上神社のあたりである.浮舟の古蹟碑は今は三室戸神社にあるが,これは移されたもので,浮舟が倒れていたのはいまの興聖寺のあたりではないか.四十六巻は「椎本」であるが,そういえばあの辺りには椎の木が結構多かった.等々土地の記憶のそれぞれに結びつけて読んでしまう.宇治十帖はいうまでもなく小説であり,虚構である.とはいえ紫式部が,五世紀の人である莵道雅郎子(うじのわきいらつこ)をふまえて源氏物語を書いていることもまちがいない.莵道雅郎子については十年以上前になるが「故郷・宇治」に書いた.
 昔から,私のようにこの話は此処のことではないかと考える人は多くて,この十帖の舞台のそれぞれに宇治の地の此処のことだと場所が宛てられ,それにあわせてそれぞれの古蹟碑が立っている.それをめぐって写真を上げている人も少なくない.例えば「古蹟を巡る」はよく出来ている.今はもっと案内板もていねいなものになっているが,30年前には写真のような案内板があった.この案内板の筆跡は私の父親のもの.晩年,宇治の文化財愛護委員をしていた.私はまるでだめだが,父は我流で稽古したと言っていたが,ほんとうに達筆な人であった.十枚の案内板の原版を直筆していた.
 紫式部の時代は,古代貴族制の世が崩れはじめた時である.光源氏の栄達を極めた前半生と,出家をこころざす後半にそれを書き記したと言える.そして宇治十帖,光源氏の子とされる薫の時代である.この十帖の主人公は,宇治川に入水しようとして生きながらえ,さいごに出家を選び,その意志を貫いた浮舟である.源氏物語は突然ここで終わってると言われるが,この浮舟の生き方を描くことで時代を超えた人間の生まれるまでを書き切ったとも言える.
 宇治十帖を原文で読み通すのはまだ出来ていないが,とりあえずひとつ宿題を終えた気持ちである.