京都大徳寺

nankai2012-04-15

 今日は智勝会のOB会に出席のため,京都大徳寺の黄梅院にいってきた.黄梅院は,かつて智勝会の世話をしていただいていた雲水の和尚がいま住職をしておられるところで,豊臣秀吉小早川隆景らの帰依のもと,天正11年(1583)より築を改め,同16年(1588)できた大徳寺でも古い塔頭である.桜咲く頃であり,黄梅院も一般公開の最中であった.
 この間のことは「智勝会の人からの手紙」「人に会う(続)」に書いた.きょうは20名を超える人が参加,和尚の話を聞き,その後会食,それから会員の方で,企業で研究開発してこられた人の話も聞き,夕方まで京都にいた.和尚は旧満州で生まれ,敗戦の混乱期に両親が亡くなり,寺に預けられて雲水になられた.この話は知らなかった.参加者の多くは大学や企業で働き定年を迎えられていて,私より数年上の人である.私のようにもとの道から外れて今もあまり変わらず働いている方が少ないかも知れない.それでも,かつて禅修行をしたものどうし,この世の中での立場を越えた話しはできる.
 智勝会が一般の在家居士だけの会になり,ほとんど学生がいないことを寂しがり嘆く声も聞いた.今,あの厳しい僧堂の修行にあえて飛び込もうとする学生など,とりわけそんな京大生がほとんどいないことは,高校生を見てきたこちらには分かる.人生を模索すること自体の中に真実があり,それでいいのだと,身をもって分かることが修業そのものなのだが,仏道修行と言うことも今の多くの大学生には何のことかわからないだろう.
 ただ,例えば兵庫県の北部にある安泰寺のことや,安泰寺のドイツ出身の住職のことなどを読むと,こういう所にやってくる若い日本人もいるようなので,京都の学生だけで判断は出来ない.私は若い頃読んだ道元の非情の求道ということが,それなりに生涯の柱だった.それをこの京都相国寺僧堂での修行で,身につけたとまではいえないが,どこか体で学んだところがある.再び世が大きく動くなかで,困難でもそういう厳しさに飛び込む若い人がこれからまた出てくるだろう.
 大徳寺門前で大徳寺納豆と地酒を買って戻ってきた.写真上右は午後の日に照る黄梅院鐘楼.鐘は朝鮮伝来で加藤清正の寄進だそうだ.いいかえると,秀吉の朝鮮侵略で奪ってきたものかも知れない.