日本の有り様

しばらく春をながめていたのであるが,この間世間ではつぎつぎと今の日本のひどい有り様が現れていた.
第一に,北朝鮮のロケット発射失敗の確認が遅れたことを巡って,防衛省の混乱が続く.NHKなどは,アメリカは衛星確認したが日本はイージス艦で確認しようとし,地球は丸いのでロケットの高度が上がる前に落ちたのつかめなかったと,防衛省を擁護する放送を流しているが,まさか日本の自衛隊は地球が丸いこと知らないわけはなく,こんなことははじめから分かっているはずである.また一時は,アメリカの誤報ではないかとさえ考えられたという.
それより知りたいのは次のことである.昨年12月に日本は情報収集衛星という名のスパイ衛星を打ち上げている.サンケイ新聞などは「情報収集衛星打ち上げ成功 H2A 成功率95%を達成 北朝鮮の軍事施設監視に弾み」などと報道していたが,今回このスパイ衛星はどのように働いたのか.今回の防衛省の失敗に関して報道がこの問題に触れることはない.何か知っている人がいれば教えてほしい.
また,地対空誘導弾P3Cが大騒ぎをして配備されたが,P3Cはロケットが解体して破片化したときにはまったく役立たない.北の衛星騒ぎに乗じて,先島に自衛隊配備の予行演習を行っただけである.そして,いざ実際に破片が沖縄方面に落下していたら,そのことが露呈するところであった.2011年度の日本の防衛費(軍事費)はアメリカ合衆国中華人民共和国,フランス,イギリス,ロシアに次いで世界第六位である.これだけの金を使いながら,まったくの無能ぶりをさらけ出したわけである.
戦後自衛隊が設立されて以降,このような軍事力をもつことは憲法第9条に反するのではないのかという議論がなされてきた.しかし今回の騒ぎを見ると,現在の自衛隊はいざというときには役に立たないものであり,軍事力とも言えない代物であるかも知れない.
また,警報不発 自治体怒り「何のための準備か」にあるように,システムは作りながら,役に立たなかった.システムを納入した企業に税金が流れただけであった.

第二に,先日の根拠なき安全宣言である.野田政権は13日金曜日の夜の4閣僚会合で、大飯原発3、4号機の再稼働を「政治判断」した.4閣僚とは民主党の4人組,野田,仙石,枝野,細野であり,取り仕切っているのは仙石,その背後で操っているのが,財務官僚を中心とする旧体制である.「政治判断」とは霞ヶ関用語であって,日本語に翻訳すれば「安全という判断に何の科学的根拠もない.原子力村を守るために再稼働する.」ということだ.
昨年の3.11地震の後,「原発は安全だと言われていたがだまされた」という声がいろいろなところで聞かれた.それに対する教訓として為政者が言ういかなる言明に対しても必ずその根拠を問おう,と言ってきた.確かに,3.11以降われわれの側のものの見方は変わってきた.いま政府の言うことを信じるものはほとんどいない.政府の言う安全宣言に何の根拠もないことを,ほとんどのものが知っているということになった.
今回のことを通して,原発に反対するということは日本の旧体制と闘うということだということが,ふたたび明らかになった.この旧体制はまた,ここでも述べてきたように,議会政治の場では小沢氏への人間破壊攻撃をくりかえしてきた.それは小沢氏の政治主張に,アメリカからの独立という内容があるからだ.そして,日本の検察・司法は,このアメリカの支配を受けいれその下で既得権を守ろうとしてきた旧体制の,いわば用心棒である.このこともまた,ようやくに広く知られるようになってきた.
原発の運動と検察の横暴に反対する運動は,まだ一つの流れにはなっていない.闘う相手と問題の本質が同じであることをおさえて,一つの運動になること,ここに課題がある.これは私自身の課題でもある.
第三に,大阪地方の維新の会である.大阪の橋本市長や維新の会はこの流れを読んで脱原発をいっている.しかしそれが思想としての脱原発か,政権を取るための方便としての脱原発か,それを見極めなければならない.
思想として原発を廃してゆこうと言うことなら,教育分野であのようなことはしない.大阪の先生らに聞くと現場はずいぶん酷いことになっている.私は「わかってにっこりが教育の原点」といってきたが,生徒が「わかってにっこり」できる場を生みだすために,制度として何が必要か.橋下教育の方向は,かつてのブッシュアメリカの「落ちこぼれゼロ」改革の結果と同じく,「わかってにっこり」できる場をすべてなくしてしまうことになるのではないか.
それにしても橋下氏は,中学や高校で「わかってにっこり」した経験をもてなかったのだろう.彼に親身になって教え,また相談に乗ってくれる先生に出会わなかったのだろう.そうでなければ,あんなふうに学校の教師に酷いことができるはずはない.出会いがなかったのはかわいそうなことだが,しかし彼も知事,市長をしてきたのであるから,自分の経験を省みて,学校をどのように変えてゆくのかを考えなければならないのだ.それができずに,教員や公務員への反感をあおって,実際にはますます殺伐とした学校を作っている.
昨日の茨木市長選も市議補選も維新の会が勝った.考えてみれば,この30年,日本の教育は「わかってにっこり」とは逆に生徒への管理強化をすすめてきた.だから学校の教師に反感を持つ人は多いのだ.それは事実だ.その人らは橋下氏の教師たたき,公務員たたきに共感する.しかし,かつて小泉改革の時,その改革でいちばん酷い目にあう層がかえって小泉支持であった.今回も同じことがくりかえされている.二回くりかえさないと歴史の教訓として定着しないということはあるのだが,しかし,わかっていながら同じことをくりかえすか,とも思う.
最後に,生徒が「わかってにっこり」できる場は,闘いとらなければならない.私はかつてこれに負けた方だから,その困難さはわかっている.しかし,未来をつくるのはだれか?〜不起立への思い(山田肇)などを読ませてもらうと,希望をもつ.
チェルノブイリの核惨事から5年で旧ソ連邦は解体した.その前にはゴルバチョフペレストロイカ,つまり旧ソ連邦の枠内での改革を叫んだ.しかしそれは結局のところソ連邦の解体に道を開き,エリツィンを生みだした.日本はどのような道をたどるのか.アメリカに従属することで支配体制を維持してきた,自民党−官僚−検察−マスコミ,その中に原子力村もあるのだが,この体制も遠からず破れる.破れたあとのエリツィンの位置を橋下が占めるのか.占めさせるのか.
あるいは別の道が開けるのか.私はそれを見守りながら,なすべきこと,なし得ることを倦(う)まずたゆまずである.写真は夙川上流で見つけた射干(しゃが)の花.昔,小学校の裏の竹藪の端の日だまりに咲いていたのが印象深く残っていて,懐かしい花だ.