ハンスト訪問

 今日は京都で授業なので,その前に,昨日からはじまった京都駅関西電力前の歩道の隅での座り込み,京都新聞記事に「大飯再稼働抗議の決意 関電京都支店前でハンスト」とあるハンストを訪問し,昼から三時過ぎまでそこに参加,一緒に坐ってその後授業をしてきた.
 座り込みをしているのは「使い捨て時代を考える会」の人らである.会をはじめられた槌田劭先生とは40年ぶりの再会であった.1973年の夏頃,こういう方向での運動をしていこう,どんな名前がいいかなどを,学生二,三人と先生で話しあったことがあった.そのころ先生はまだ京大工学部の教員をしておられたが,場所は大学の外だった.私はその年の秋,兵庫県で教員の仕事が見つかり京都を出た.それでその後にはじまった会の運動を一緒にすることは出来ず,そのまま長い時間が過ぎた.今日話してみると,先生はその時のことなども覚えてくださっていた.五月五日にすべての原発が停止するまでは続けるとのこと.来週の木曜日も行ってくるつもりだ.
 昨年,何十年ぶりという再会がいくつかあり,これで一巡りしたと思っていたが,今年になってまたそんな出会いが続いている.60年代後半から70年代前半は,世の中が大きく動き,人もまた流動していた.それまで考えていた方向と違う方に歩みはじめた者も少なくなかった.今日,再び世の中が動き人々が流動する時代に入りつつある.だから,あの時代に会った人と,今再会する.時代が人と人を再会させる.そういうことだと思う.この出会いを力にしてゆきたいものだとつくづく思う.
追伸:20日夜は「STOP!権力の暴走」国民大行動が主催した,『「STOP!権力の暴走」国民大集会―小沢一郎政治裁判の不当判決は許せない』のライブの配信を見ていた.熱気があり気迫があった.関西でも22日は大阪デモがある.これは私も行くつもりであるが,26日の小沢裁判判決は戦後政治の一つの節目となるだろう.現代は帝国アメリカの非人間性と闘い人間原理を現実化してゆく時代である.が,可能性を現実性に転化するのはあくまで人間の闘いであり,それなしには何もない.
追伸(5/5):もういちどテントを訪れた.全原発停止