全原発停止

nankai2012-05-05
 今日は午前中ポンスレの定理に関係する計算をしていたがうまくいかず,気分転換.予定通り昼から京都まで出かけてハンストの応援に行ってきた.午後2時半頃に到着.そのまま最後までつきあってきた.槌田劭先生76歳,18日間の日中ハンストである.こちらは3時間も坐っていると疲れを感じるのだが,先生は今日もお元気だった.今日は最終日で多くの人が集まってきていた.ハンストは5時半に終わりそのあと集会.いろんな人の話も聞いた.槌田先生には「またどこかでお会いできると思います」と握手して別れてきた.
 今日の夜半で北海道泊原発3号機が定期検査で停止し,日本中のすべての原発が停止になる.全原発の停止によって日本の脱原発の方向は決定づけらる.もう戻ることはできない.原発再稼動はますます難しくなる.それは原子力村に代表される日本の旧体制がその力を失ってゆく一つの転換点だ.
 しかし停止になるのは,安全ということではまったくない.制御棒が完全に差し込まれ臨界状態になく,連鎖的核分裂反応が起きていない原子炉は,その点では運転中のものとは異なる状態あると言えるのだが,地震が起これば話は別である.先日,停止中の敦賀原発の下を,「活断層と連動して動く可能性のある断層」が通っているとの報道があった.「活断層と連動して動く可能性のある断層」とは活断層そのものではないのかといいたいのだが,それを認めると直ちに廃炉にしなければならないので,霞ヶ関用語でごまかしている.
 ここで何かあれば核惨事となる.停止中の原子炉では使用済み核燃料がそれぞれの原発建屋のなかに置かれている.どの原発もはやく廃炉を決定し,核燃料があるのなら地震に耐えうる地盤の上に建てた貯蔵庫に移動させねばならない.下に活断層が通っている同じ建屋の中では,福島第一原発4号機のように危ない.世界中の研究者が「福島第一原発4号機の核燃料貯蔵プールが崩壊したら、東京にも人が住めなくなる可能性がある」と警鐘を打ち鳴らしているが,敦賀原発など,いずれ起こる東南海地震と連動すると,まったく危うい.だから別の安全な場所に移さねばならないのだが,これがまた大変過酷な被曝労働になる.
 関電は電力不足を盛んに宣伝しているが,不足するという根拠は何も示されていない.昨年夏も東京電力は夏の電力不足をいっていたが,それはなかった.関電もまたやりくり可能なはずである.しかし問題は電力が不足かどうかではないのだ.安全かどうかなのだ.金儲けを第一とする現代の文明のもとでは原子力を制御することはできない.まして断層が幾重にも通る地震列島の上にある原発は,これは日本だけの問題ではなく,人類史的な規模での危険物なのだ.安全でない以上,電力が不足すれば節電するしかない.関電にすれば,それでは売り上げが落ちるし,廃炉にすれば償却しなければならないということになるのだが,しかし一企業の業績などの問題をはるかに超えている.
 先日の小沢無罪も,今日の全原発停止も,それぞれそのために多くの人々が働き動いてきたのであるが,そしてそれぞれ一つの段階を越えたのであるが,しかし千里の道,万里の道の一里でしかないこともまた確かなのである.全原発停止はひとつ人間原理が現実になったということである.しかしほんの一つに過ぎないことも確かである.
 季節は初夏.草陰で羽を休めるアゲハチョウ.そしてテッセン,クレマチスの花.テッセンは江戸時代シーボルトがヨーロッパに持ち帰り向こうで品種改良されて,日本に戻ってきた花.最近よく見かける.