新しい紫陽花革命

昨日は仕事関連で人に会う予定があった.夜7時半頃別れ,阪急電車で帰りかけたのだが,やはり気になってタクシーで肥後橋の関電本社前までいった.着いたのは8時頃で大きな集会は終わっていたが,まだ500人ほど残り,唄い喋りしていた.あまり日頃見かけない人たちがここに来ている.昨年の今頃の反原発デモからこの一年で参加層が大きく広がっているのがよくわかる.一通りこちらもあれこれ参加して帰ってきた.
戻ってから官邸前集会の様子を、いろんな録画で見る.レイバーネットに様々の報道一覧がある.入れ替わり立ち替わり人が動いている.のべの参加者が20万人というのはそうだと思う.子供を連れた人,遠方からバスで来たという老人のグループ.組合の旗も党派の旗もない.個人個人の意思表示のプラカードや旗,幟があるだけだ.新しい時代のうねりが起こっている.
参加者が官邸前に詰めてくると「官邸を守れ」という警察の指揮官の声とともに警察車輌が間に分け入る.官邸前は警察車輌で閉鎖された.私なんかは思わず「おしのけて官邸前で座り込め」という気持ちが起こる.昨年来のチュニジアやエジプトのデモ,ウオール街占拠の運動では,この状況で警察との衝突がくりかえされてきた.多くの逮捕者を出し,死者まで出た.考えれば日本の60年安保闘争はそうだった.国会突入の中で樺美智子は殺された.
ところが今回,主催者はここで引かせた.早めに予定を終え,引きあげさせはじめる.また,立ち止まると渋滞するから歩き続けてくださいと警官がマイクで注意喚起すると,警察の指示を守るようにと呼びかけ,参加者はそれを守る.ここで逮捕者や犠牲者を出すべきではない.むしろ現場警備の警察と無用の対立はしない.これが主催者の明確な意志だった.参加した人の中には7月1日の再稼働に時間がない.ここで官邸座り込みができなかったのは負けたのではないか,と言う意見もある.その声を別のところから聞いた.私なんかは,何もしないよりはやり過ぎる方がよいという考えが基本にあるので,その意見に,その通りと言いたい気持ちもある.しかし,考えれば60年安保で歴史に登場した新左翼運動は,結局のところ日本の現実を変えることはできなかった.主催者がそれを歴史の教訓として踏まえているのかどうか,それはわからない.が,蓄えられた歴史の智慧がここに生きていると思った.
また,参加者の言っていることは過激である.野田政権打倒.子供を肩に乗せた父親が「再稼働反対! 野田政権打倒!」とやる.明確な政治意志をもって,かつ統制がとれて非暴力.これは新しい事物の歴史的登場である.だからといって,60年闘争や70年の闘いを清算しようということではない.かつて60年闘争や70年のときに新左翼全共闘を過激だとして批判した一部の人たちがいた.この点についてはそのような批判は高見からのものであり,私は反対である.樺美智子に象徴されるあの時代の青年はよく闘った.その自己犠牲に満ちた献身的な闘いがあって,その教訓があって,今日がある.
その野田首相であるが,1%の側からの評判は非常によい.米ワシントンポスト紙(電子版)は2012年4月19日,「日本は難しい決断を下せるか」と題した記事で野田首相を取り上げ,自民党政権下の安部晋三元首相以降6人目の首相として,「最も賢明」と持ち上げている.記事では,首相が消費増税原発再稼働に加えて,沖縄の米軍基地問題の解決,環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加と4項目の課題を同時に手がけようとしている点に触れ,これを高く評価している.
それに対して野田政権打倒!である.1%が評価することと逆の内容が99%の要求である.「消費増税反対,脱原発,反TTP,米軍基地撤去」の運動が大きなうねり,一つの運動をなっていくとき,それは時代を変えてゆくだろう.われわれは意外に歴史の先端にいるかも知れない.
先端にいるかも知れないということは,しかし,難問もまたわれわれの前に現れるということだ.この先デモがふくれあがっていったとき,野田政権とその背後のもの達はどうするだろう.昔の岸信介のように声なき声を聞けとうそぶいてデモを無視するか.あるいは,消費増税原発,TTP,米軍基地のどれかで妥協して運動を分断してくるか.どのみち紆余曲折.いくつもいくつもの経験を経なければならない.このあたりはわれわれ老人たちがいろいろ考えておかねばならないところだ.
昨夜はその後まだ解いていなかった東北大の解答を作り,先ほど入力した.写真は今朝見つけたタマムシの羽.まだこの辺りにはタマムシがいる.先日は飛んでいるのを見た.