人間として

 昨日は,朝のうち射影幾何で一つわかったことをPDFに反映させ,その後九大の問題でまだ解いていなかったのを解いた.その傍らで,福井県大飯原発前の道路封鎖現場からの実況中継である,IWJの配信をかけっぱなしであった.前に福井市の集会にいったときも参加していた福井現地で音楽をやっている若い人を中心に,30日から徹夜の集会が続いていた.その配信を「反戦な家づくり」さんが録画してくれている.感謝.
 夕方,機動隊との対峙も厳しくなった.田中龍作ジャーナル【福井発】 大飯原発が再起動した日、機動隊が攻め込んできた.皆非暴力で身体をはって食い止める.音楽はいっそう熱を帯びる.大飯原発へのもう一つの入り口である海の方では,多くの人がこれを阻止しようとがんばった.田中龍作ジャーナル【福井発】 あす大飯原発再起動 反対派、チェーンで体巻き機動隊阻止.こちらは夜9時頃力ずくで排除され,結局副大臣は海から入った.
 追伸:続報【福井発】祭りのノリ「命を守れ」 原発停める新しい闘い.里の守り神の加護を受けた深い祈り.この闘いが近代主義的で戦後民主主義的な運動の段階をはるかに超えたものであることがわかる.
 道路封鎖現場の方はまた徹夜かと「明日朝一番の電車で差し入れをもっていけば」と言う意見もあったのだが,さすがにそれは体力に自信がない.そうこうするうち夜中の12時過ぎに応援のバスが駆けつけ,さらに音楽は盛りあがっていた.こちらが全部の問題を解いてウエブに上げたのが1時頃,ちょうどその頃主催者は集会の終わりを告げて,あと片付けの指示や忘れ物の連絡をしていた.このような状況でも冷静に取り仕切っている人がいるのにも感心した.
 闘いの場に生まれた祝祭空間の経験は,身体が記憶しそして共有されて,その人々の人生を決定づける.先日金曜日の官邸前もそうだった.2001年,アルゼンチンではブエノスアイレスを中心にこのような祝祭空間が生まれ,その力が軍と新自由主義が一体になった体制(その下で,多くの若者が闇から闇に殺された)を崩壊させた.それは『闘争のアサンブレア』に詳しい.その後アルゼンチンはそれこそ国民生活が第一の政府を生みだし,富裕層への優遇政策をやめ富の配分を平等にし困難ななかで前進している.『闘争のアサンブレア』はたいへん心動かされたのだが,南米にはじまる新自由主義との闘いが地球を1周して日本に及びはじめたということかも知れない.野田政権に代表される新自由主義・官僚政治の諸政策に対抗する様々の運動が一つの流れになるとき,これを打ち倒す.
 日本のこの新しい人々の運動は,かつてのように組合の動員でもなければ党派の活動でもない.ただ「人間として」の原理で行動している.組織に属するものも,私のようにまったく個人として行動するものも,同じ人間である.かつて1970年頃小田実開高健らによる雑誌『人間として』が季刊で出ていた.手元に1972年9月の11号と12月の12号最終号がある.今読みかえすといろいろ示唆されることがあって面白い.強欲な資本主義による悪政と東電核惨事を経て,「人間として」の運動が現実化している.歴史はこんな惨事を経なければそうならないのか.それでも政府は原発を再稼働する.もういちど惨事を経ろというのか.いろいろ考えさせられる.