原発ゼロ社会実現シンポ

25,26日加筆.
 原発ゼロ社会実現シンポに行ってきた.御堂筋のデモ以来つきあいのある人たちが実行委員となって準備された.衆院の解散前の企画であった.その後解散になり,前議員など立候補予定者は選挙準備で忙しかっただろうが,参加予定の人は全員こられた.第一部,河合弘之脱原発弁護団全国連絡会の代表のドイツ視察報告と講演.第二部,IWJの岩上安身さんの司会で,前衆議院議員の「生活」熊谷貞俊さん,前衆議院議員の「社民」服部良一さん,阪南大准教授で瓦礫焼却問題から被曝問題に取り組む下地真樹さん,衆院候補の「生活」三橋真記さん,原発事故避難者で大阪の瓦礫処理問題にも取り組む中村聡子さん,そして河合弁護士,これらの人々による討論会.その間に,中村さん,増山麗奈さんのアピールと盛りだくさんであった.いろいろな集会や選挙前の街頭演説会とも重なり,実行委員の思いより参加者は若干少なめであったようだが,内容はたいへん濃かった.その記録が岩上チャンネルのここにある.
 2年前半ほどに,小沢裁判があまりに理不尽だということで,「マスコミの偏向報道,政治の閉塞,司法の腐敗を打ち破るために」にはじまる宣言を作り,幾人かの市民がデモを計画,数回にわたって実行してきた.会の名は「大阪宣言の会」.何を宣言したのか.いろいろあるが,私は要するに,大阪での市民宣言だと思っている.私はネットで見つけて最初のデモに参加した.福島核惨事が起こってからは,この日本のあり方そのものを問うところから反原発デモにも参加し,いろいろな行動を積み重ねてこられた.私は仕事と重なることが多く,あまり何も手伝えなかったのだが,これまでの意味では政治の素人といわれる人々が,これだけの人に来てもらい討論会を行う.そのような時代になったのだ.
 12月は選挙であるが,それはそのときの力関係でいろいろな結果となり得るが,しかしこのような市民の行動,それだけが心ある議員を動かし,まとまるべきものをまとめ,一歩一歩人々の願う世を生みだしてゆく.下地さんが言っておられたが,50基以上ある原発で稼働しているのは2基のみ,原子力村はもっと動かしたいが2基しか動かさせていない.そこには確かに運動する人々の怒りと力が強く働いている.集会後の懇親会も盛会であった.いろいろ話しをすると,やはり小沢問題であまりにおかしいというところから,自分で情報を集め考えてきたという人にも出会った.実行委員をになった人や懇親会で出会った人々に何か感謝したい気持ちである.こうして時代は人と人の出会いを生みだす.
 ドイツは福島の核惨事を見て,最終的に脱原発を決めた.なぜドイツではそれができたのか.単にドイツがうらやましいとかそういう話しではない.ドイツはかつて第一次世界大戦で戦車も使い戦闘機も作り,毒ガスも使った.それは歴史上初めての悲惨な総力戦であった.そしてドイツは敗れた.もうこんな愚かなことは止めよう.それで戦後民主主義のワイマール体制となった.しかし戦後賠償の重荷もあって経済が破綻し,結局はナチスドイツの支配を許し,ユダヤ人収容所までいってしまった.ドイツは二度,後に見ればこれほど愚かしいことはないということをした.そしてその後民族国家の分断まで経験した.それを踏まえて,今日のドイツの脱原発がある.ドイツの人々の智慧は二度にわたる悲惨で愚かな経験から生みだされたものだ.
 これまでの歴史では,悲惨な経験は二度やらないとそれがその地の人々の智慧としては根づかなかった.一度目の失敗では,支配層の「やり方がまずかったのであってもっとうまくやれば…」と言う意見がまだ過半は残るのだ.本当は一度目の失敗自体がやり方の問題ではなく本質的な問題であったのに,支配層はそれをごまかし隠す.それでやって再び破れてやっとやり方の問題でないことがひろく自覚される.悲しいことであり残念だがそれが歴史の現実だ.しかし原発の問題はこれまでの戦争よりさらに深刻だ.もういちど核惨事をひきおこせば,それを教訓になどと言うことすら出来ない事態になる.日本列島弧は人が住めなくなり,地球全体にも取り返しのつかない核汚染をまき散らす.
 日本は一度,あの戦争をやり原爆も経験した.しかし,やはり,戦争に負けたのはアメリカの物量に負けたのであって,物質的繁栄を実現しそれを政治の背景にすれば,あんなことはなかった,こういう見解が根強く残ってきた.それが戦後体制=旧体制=原子力村の論理である.物質的繁栄としての原発,国家の政治力保持のための核兵器製造能力.これが一度目の敗戦から支配層が引き出した教訓であった.しかしそれは根本において間違っている.アメリカの物量に負けたのではなく,あの戦争に大義がなかったから,破れたのである.
 そして,広島・長崎の原爆を一度目として,今は二度目の悲惨=東電核惨事の渦中にある.この核惨事はチェルノブイリ核惨事をはるかにうわまわる.それがいかに悲惨なことであるのかは,まだまだこれから明らかになる問題である.支配層は悲惨であることを隠し,福島を隠し,今避難すれば防げる被曝をそのままに放置して,できもしない除染でごまかし,一連の核惨事を小さく小さく見せようとする.それどころかうんと緩くした基準で瓦礫焼却を行い汚染を全国化しようとする.二回目の悲惨であることを隠し通そうとしている.さらにまた,核兵器保有国や日本は,広島・長崎以来一貫して内部被曝は見ないことにしてきた.内部被曝の実態が明らかになれば,核兵器自体が非人道兵器ということになるからだ.しかし彼らがなんと言おうと原水爆大量破壊兵器であり,原発はひとたび惨事となれば原水爆と同じかあるいはそれ以上の破壊をもたらす.
 そしてもし今回の選挙で自公民が再び政権を握れば,隠された本音である日本の政治力としての核兵器製造力の保持,これが全面的に出でてくるだろう.それは河合弁護士も力説されていたところだ.それはまさに一回目の敗戦のなかからナチスが起こったのと同じ構図である.安部は名前まで「国防軍」を言いはじめた.ナチスドイツも国防軍だった.それを許すのか.ドイツのようにもういちど大きく敗北しないとわからないのか.もういちど核惨事を起こすのか.それはもう「もういちど」の言えない破局である.あるいは,東電核惨事から教訓を引き出し,戦後日本を根本から変えることができるのか.われわれは今,それが問われる岐路に立っている.目の前に二つの道があれば,困難に見える道を行け.現状を続ける安易な道は破壊への道.原発廃止・対米独立こそ,困難ではあるが山を越えうる道.今日の話を聞いてつくづくそう思う次第である.
 写真は公園の銀杏.もうこんな季節になっているのだ.