歴史を動かす力

昨夜も関電前金曜行動は続いていた.寒いところに西風が吹く.昨日は原稿を書いていてすぐに家を出たので,線量計をもってゆくのを忘れてしまった.これはミスだった.29日午前から汚染瓦礫の試験焼却が大阪湾の島ではじまった.30日も焼却した.その影響がこの関電ビルの地であるのかないのか,それを確かめなければならなかった.次に大阪に出る時には必ず量ってみる.もっているのは1cm線量当量率(μSv/h) を表示するもので,西宮などでは0.05 という最低数値しか出ないが,この二月に福島市に通っていた家族の話では土の近くや植え込みでは0.5,10倍の数値が出ていたそうだ.昨日の西風は相等の汚染を市内に運び込んでいたのではないか.いしだ壱成さんは大阪の瓦礫焼却に関して「まずは、可能であれば出来るだけ外出は避けてください」と言っている.アスベストも飛ぶようなので,子供や若い人は本当に気をつけてほしい.
それにもかかわらず昨夜も皆やってきたというべきか.われわれの世代,年寄りが多い.さすがに子連れの母親はいなかった.それでいい.いたらお帰りというつもりだった.われわれの世代になると,自分のことよりも次の世代のためにという気持ちが強くて,抗議行動に出る方を優先する.そういうわれわれの同世代の思いも力に,金曜行動は本当によく続いている.私のように日常の活動はほとんど何もできない者でも,昨年2011年は集会やデモの参加が6回であったのが,2012年の今年は昨日までで21回である.ただの人間の止むに止まれぬ行動,これが力である.参加することで考えも深まる.これに関して,NHKの「青春リアル」放映のものであるが,若者自身がつくった「デモで考えたこと なぜ、僕たちはここにいるのか…」は面白い.高校生,大学生に見てほしい.大阪も,もっと皆が思うことごとを喋るようにしてゆけばよい.そういう場もあればと思う.
議会政治の政治家は選挙に当選すれば,それからは官僚体制の中で現状の法律の下でやってゆかねばならない.法制度や官僚組織は基本的に現状維持であり,そのなかでこれを動かしてゆくのは大変であることはそうなのだが,どうしても巻き込まれてしまう.民主党の素人政治家はみなそうなった.社民党から途中で移った辻本議員などもその典型だ.しかし,議員や議会政党がぶれるのは宿命であり,構造的なものである.俺に対して,政治を監視し政治家が言っていたことと違うことをやれば大きな抗議行動が起こる.次の当選はない.こういうことが日常的にならねばならない.その意味でも、全国的な金曜行動は意味深い.
2012年はこのような人々の行動がはじまった年となった.明治以降の日本社会でこのような行動は本当に新しい事物である.江戸末期以来である.とはいえすべてははじまったばかりである.現在の政治はといえば,民主党のもとで,戦後政治の特徴であるアメリカに従属した官僚の支配がいっそう酷くなった.何回もくりかえすが,地震列島に原発を作り,福島第一の事故後も情報を操作して事態の真実を隠し,核汚染を世界にまき散らしながら誰一人責任を取らず,福島を見捨てたままである.何も変わっていない.すべてはこれからである.これを根本から変え,人間としての当たり前の生活を実現する世を生みだしてゆく基本的な力は,やはり多くの人々の直接の行動である.ここにはいろいろと考えなければならないことが多くある.同時代の考察として,できることには参加しながら,順次まとめてゆきたい.
後の2枚の写真は京都市左京区北白川にある天神宮の紅葉.ふと,今年はまだ地元以外どこの紅葉も見ていないと思い,木曜日,京都の授業の前に小一時間立ち寄ってきた.40年近く昔,この近くの農家の二階に下宿していた.その家もまだあった.数学研究者になろうと思っていたのであるが,根拠を問うべきことがこの世の中に多くありすぎ,それを考えるうちに数学研究から離れた.そのころ,いろいろ考えごとをしながら,このあたりを歩いては立ち止まり,また歩いてという毎日だった.自分にとっては原点ともいうべき風景だ.懐かしい.ところでその後,結局数学からは離れられず再会し,昨日も今日も『射影幾何』を読みかえし手を入れている.人生とは何とも不思議なものである.