自民党改憲案を読もう

追伸2:ピープルズ・プランの武藤一羊さんが極右による「国家改造」の性格:耳栓・目隠しで「日本を取り戻す」(中)――普遍的価値からの遮断装置としての自民党憲法草案をかいておられる.必読.
追伸1:今日の夕方,犬と散歩の途中に出会ったイノシシ.フラッシュすると突進してきそうでできず,そのため露光時間が長くなり顔が動いてしまった.六甲山系東麓のこのあたりは,冬場はイノシシが人里に来る.朝,道にはイノシシの糞が落ちている.ばったり出会っていささか興奮して,それから金曜行動に出かけた.
自民党改憲案を出している.その詳しい内容と現行憲法との比較,その変更内容を法批判として客観的に書いていてくれるのが,「自民党憲法草案の条文解説」である.これを参考に,ぜひ自民党改憲草案を詳しく読むことを勧めたい.ハナから相手にしないという態度ではなく,とりわけ若い人が詳しく読んでみることを勧めたい.そこから,人間とは何か,人がこの世にあるのはなんのためなのか,国家とは何か,といった基本問題を考えるきっかけになる.
もとより憲法は,そこに書かれているからと言ってそのまま行われるわけではない.基本的人権一つをとっても,現行憲法でそれが保障されているといっても,生存権も労働権も形だけであるし,戦争放棄といっても,この間自衛隊は海外に出て行っているし,等々,すべては実際には人間の尊厳をかけたの闘いなくして何ごとも現実にはならない.
そうなのであるが一方,憲法草案にはそこに一貫した思想が流れていて,それを読み取ることは,その草案を出して来たものたちが何を意図しているのかをつかむことになる.いずれこれが争点になるので,多くの人がます現行憲法自民党草案を比較し研究することを勧める次第である.
二つの憲法を読むと,国民と国家の位置づけがまったく異なることに気づく.冒頭の主語からして違うのだ.現行憲法の前文は四つの文章よりなるがその主格語は「日本国民」が三個と「われら」が一個である.それに対して自民党草案は五個の文章であるが「日本国」「我が国」とはじまりその後にようやく「日本国民」「我々」「日本国民」と来るのである.だから,現憲法が国民自らが定めた基本法という性格であるのに対して,自民党草案はまず国家があり,その後に国家のもとで義務を果たすべき国民がある,という基本構造になっている.
この対比を一言でいえば,人間原理か,国家原理かである.あるいは生活が第一か,国家が第一かということでもある.はっきりしている.人間あっての国家なのだ.逆ではない.第九条の戦争放棄の条項も大きく変えられている.そこに関して九条を守れということももとより重要なことである.しかし,自民党憲法草案はそれよりもさらに包括的な一貫した思想で書かれている.批判するならば,そこから批判しなければならない.個々の内容はそれぞれの人の読みにゆだねたい.
改憲を推し進めようとするものが用いる論法は「日本国憲法というのは我々自身が作った法律ではない.占領下,米国人を中心にした外国人たちに押しつけられた法律だ.だから国民主権の行使として,憲法を改定し,自主憲法を作ろう」である.しかし,これは改憲の真の意図をごまかし,多くの人間を改憲の土俵に引き入れるための主張である.ほんとうに押しつけられたものなのか.現行の日本国憲法成立の歴史を確認しておこう.
日本国憲法は、第二次世界大戦における反ファシズム連合の勝利,日本軍国主義などファシズム枢軸国の敗北の結果生まれた.天皇人間宣言し,財閥は解体され,社会主義者や民主主義者は獄中から解放され,非合法下にあった共産党も合法化され,逆に軍国主義者は公職を追放された.そして1947年五月三日に,天賦の人権としての基本的人権の承認と戦争放棄をうたった日本国憲法が公布された.アジアへの侵略戦争にかり出され死んでいった多くの人びと,日本軍国主義によって殺され,また反ファシズムのたたかいに命をささげたアジアの人びとの余りにも大きい犠牲のうえに生まれた.日本軍国主義と闘った世界の人びとがかちとったものである.このことは,cangaelさんも押し付け憲法? 実は「メイドインジャパンの日本国憲法」で指摘されている.
アメリカの占領政策はその後変化する.中国革命の進展と中華人民共和国の誕生を直接の契機として,アメリカの国家政策は反共産主義に転じていく.その過程でアメリカは日本を忠実な目下の同盟国とし,日本の再軍備を進める.軍国主義者の復活とその反対にレッドパージがはじまる.日本軍国主義の流れをくむ日本の保守主義者にとってもアメリカにとっても,現憲法は邪魔になる.こうして早くも1954年には改憲を言いはじめる.そのときのうたい文句が「自主憲法制定」であった.
ごまかされてはいけない.確かに第九条は,日本軍国主義の流れをくむ者にとっては「自主」でない.現実にも,軍国主義者が公職を追放されている間に日本国憲法は公布された.彼らにとっては「押しつけられた」ものだろう.だがわれわれにとっては自らの犠牲のうえにかちとったそれこそ人びとの自主憲法なのだ.
私は,現代は新自由主義資本主義の人間破壊と闘い,人間原理を一つまた一つと打ち立ててゆく時代であると考えている.その意味で,この自民党憲法草案は時代の方向を逆にまわそうというものであり,まさに反動的なものだと思う.それと同時に,福島の惨事を教訓に脱原発を進めるということも,国民の生活を第一とする政治を実現することも,この自民党草案のもつ思想と闘うということでもあるのだ.このあたりの議論が深まることを願っている.いざ改憲国民投票となれば,メディアは争点をごまかし,あるいは隠して改憲賛成に誘導する.今から十分議論をしておきたい.