3.11の前の日に

3.11から2年.3回忌.ほんとうにこの2年は早かった.3.10には大阪でも,中之島公園を中心にいろいろな集会やデモがあった.こちらも参加してきた.昼過ぎには横なぐりの雨.カッパを用意していたので,さっそく身につけての参加であった.傘をさした顔見知りには,こちらのカッパ姿を見て「慣れたものですね」と声をかけられたが,このカッパも去年の秋のデモで雨に降られ,急いでコンビニで買ったもの.朝のうちは暖かだったが,気温が下がりそうなので,携帯カイロも用意した.中之島の集会は二か所で行われていたが,同じ一つの集会として統一して行われた.去年はこのうちの一部は扇町公園で別にやっていた.これを統一させたのは金曜行動が持続する力である.
いずれの発言も,福島を終わったものにしようという安部政権への怒りの声にあふれていた.また,組合旗も多く,組織的な動員もあったようだが,しかし,昔の組合動員よりは自発的な参加が広がっているように感じた.集会の統一はほんとうによいことだ.これをさらに進めて,選挙でも脱原発候補の統一にすすまなければならない.単に反対派であることに存在意義を見出す段階は終わっている.人びとの力をまとめなければならない.このことにおいて役割をはたす党派のみが歴史の試練にたえうるだろう.集会にはこの間の御堂筋デモなんかで知りあった人も,彼のグループで参加していて,こちらが写真を撮ろうとして上がった壇上から見つけて,握手もしてきた.顔見知りの人民新聞の編集長や記者に出あって,いろいろ話をしながら途中まで彼らの取材につきあって,それからデモで歩いて来た.
この日は全国各地,世界各地で集会があった.レイバーネットの報告:3月9日東京3月9日パリ3月10日東京.田中龍作ジャーナル:9日東京9日東京10日東京.「無政府状態の日本」,まさにその通りである.福島の核惨事は,金儲けを軸とする旧体制は,実はもはやこの時代の政治体制としては機能していない.一方,3.11で暴かれたことごとを覆い隠し,なかったことにしようという,まさに反動も大きく,今そのせめぎ合いが続いている.「On lâche rien !(あきらめないぞ!)」 この核惨事がいかに惨酷な事件であるかは,まったくこれからの問題である.人間の歴史の中での,この惨事の意味,それはこれから明らかになってゆくことだが,核惨事が「経済の時代から人間の時代へ」の転換期を象徴するものであることはまちがいない.が,しかしあまりにもその犠牲は大きい.そしてそれは今まさに進行中の惨事なのだ.
雨に濡れてしまったので,いったん自宅に戻り着替えて,それかもういちど梅田に出て,新年度を迎えての職場の会に参加.さらにその後,皆で飲みに行って終電車で帰ってきた.また,昨日からの問題の一般化や別解が頭を離れず,いろいろ考えながらの一日であった.昨日計算したことを今朝書いてHPに上げた.今年教えた生徒からいくつかの合格報告メールが来ていた.そのうちに次のように書いてくれる人がいた.

無事京大法学部合格しました! 先生の授業で僕は数学が好きになったし得意にもなりました!

数学好きが一人増えた.文系の生徒で,数学が苦手であったが,一緒に考え勉強して,嫌いではなくなった,という報告がいちばん嬉しい.また

このたび、神戸大学医学部に合格できました! … 数学を先生におしえていただいて本当に良かったと感謝しています。… いつも先生は数学を心から愛していらっしゃるのだなと感じておりましたが、数学の素晴らしさに少しふれられたような気がします。努力を重ねれば必ず報われるのが数学であり、勉強であるのだなと改めて実感しました。これからさらなる努力を重ね、立派な医者になりたいと思います。

こういう言葉にはこちらが逆に励まされる.矛盾の中で,せめて出会った生徒には,数学を通して,わかる喜びを伝えたい,根拠を問う批判精神を育んでほしい,と思ってやってきた.そうして何かが伝わってゆくことが文化ということなのだ.制度の矛盾を突き破る力は,このような文化を土台にする.新しい大学生の皆さん.よく学び,よく遊び,よく考える大学生活を.3.11後の学生生活は,それ以前と同じではありえない.でもそれは,それぞれの学生が自分で考えなければならないことだ.現実へのみずみずしい感性を失わないでいってほしい.写真は満開の桃の花.右上は朝日,左下は夕日に映えて美しい.