三・一五の日に

追伸:この日東京では,金曜行動とともに「アメリカの植民地はごめんだ!〜TPP交渉参加表明に強い抗議」と,抗議行動が行われている.動画も.
追伸2:徳田球一資料展のことを,海鳴りの島からで知った.時間さえあれば飛んでゆきたいところだ.よく見れば今日まで.
追伸3:必見 YouTube  アメリカ市民団体がTPPについて報道した驚異の内容とは
今日の金曜日,大阪は隔週でなし.出かけないで仕事に専念するつもりが,予定より早く,20日締めの問題づくりの見通しがついた.気分転換,神戸は三宮までいってきた.日も長くなった.始まるころまだ薄明るい.その中でいつものように,神戸の金曜行動.途中からギターやラッパも入って,先々週よりは賑やかに声をあわせていた.この3月10日前後に福島県飯館村双葉町を訪問してきた人もいて,その報告などもあった.こちらも時間がとれれば行きたい思っていたのだが,まったくできず,その代わりということでもないが話しを聞いていた.
経産省前のテント広場への攻撃というか,これを何とかなくそうという安部政権の動きが,出てきた.テント前広場の意義と正統性は「経産省前テントは不法占拠ではない」に述べられているとおりだ.昨日,新たな動きがあったようだ.じっくりと,いざというときには毅然として対応する.政府が暴力的に排除すれば,そこから逆に運動が全面化する.向こうもそれを知っているから,当面いろいろな駆け引きが続くだろう.しかし,正統性はこちらにある.政府,国家が無策であり,福島の人々を棄民したまま再稼働にすすむ.それだから,このテント広場も生まれたのだ.
同じ人民新聞1474号の下地先生の話は面白い.というか,切実である.このように切り込んで,下地さんの話を聞いた編集部に感謝する.このような人々のつながりこそが,われわれの力である.つくずく,時代がこのような活動家を生みだすのだと思う.彼を歴史の舞台に押し上げたのは,逆にいえば橋下であり安部である.彼を守り支えて,今も獄中にある人らも支えて,できることはしてゆかなければならない.
ところで今日は三・一五.「三・一五怒りの日…」という革命歌もあるが,いったい今どれだけの人が「三・一五」を知っているのか.安部もまた三・一五ににTPP参加を表明したことの意味を知っているのか.
1928年2月,第1回の普通選挙が実施された.社会主義政党の躍進に危機感を抱いた田中義一内閣は,3月15日,治安維持法違反容疑により全国で左派党への一斉検挙を行った.日本共産党労働農民党などの関係者約1600人が検挙された.直前の2月26日には徳球,徳田球一も逮捕されている.その後,小林多喜二は三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表する(『戦旗』1928年11・12月号,発売禁止).拷問の描写が特高の憤激をかい,後に多喜二自身が特高により拷問のすえ殺される.三・一五から日本は軍国主義をまっしぐら.八月十五日の敗戦まで突き進んだ.
私がもっとも尊敬する沖縄が生んだ革命家,徳球はそれ以来獄中十八年を闘いぬく.そしてその戦争を遂行した日本の官僚制は昭和天皇とともに生き残り,あげくのはてに東電核惨事を引きおこしたのだ.歴史はくりかえす.一度目は悲劇として,そして二度目は喜劇=茶番としてである.もういいかげんにしなければならない.今日はその,近代日本の歴史の一つの焦点である三・一五から八五年の日.多くの先達の苦しみと闘いのうえに,今日がある.そのことを思いながらの金曜行動であった.