これは「人間の国」か

 6月になった.私は6月が好きだ.梅雨だなと思うと,梅雨のころの畳の冷たさ,いつもそれを思い出す.しかし,この季節感はもう今は失われかも知れない.写真は6月の花たち.
 阪神大震災のあと,箱物だけ整備される一方で,仮設住宅での老人の孤独死が相次ぐなか,小田実は「これは『人間の国』か」と問うた.今その問いは,さらに深刻に,切実に,われわれ自身の問いである.
 「5月21日、22日の2日間、ジュネーブの国連で拷問禁止委員会の第2回日本政府報告書審査が開かれた。私は、日弁連の代表団の一員として、委員会を傍聴した。」にはじまる,「日本の刑事司法は『中世』か」と題する小池振一郎弁護士の報告が小池振一郎の弁護士日誌にある.ぜひ読んでほしい.小池弁護士が「本当は、この『中世』j発言と「シャラップ!」は新聞の1面トップに大きく報じられて然るべきだと思うのだが。」と言われるように,これはものすごく大きい問題である.この上田人権人道大使の暴言事件を日本の新聞やテレビはまったく報道しない.
 追伸1布川事件の冤罪被害者である桜井昌司さんもまた,その場におられた.その報告が『獄外記』の中の「日本審査」にある.このような事実は隠し通せない時代になった.
 追伸2伊藤和子弁護士もまたジュネーブで,その場にいた人からいろいろ聞き,上田人権人道大使に見る、世界に恥ずかしい「人権外交」と報告しておられる.
 福島原発告訴団が,福島第一原発が爆発事故を起こしたのは安全管理を怠ったためだとして,東電の旧・現経営陣と政府の役人を業務上過失致死傷の罪で検察庁刑事告訴して,1年になる.この間,日本の検察はほとんど何も動きをせず,いたずらに時間が過ぎている.5月31日,日比谷公園で「厳正な捜査と起訴を求める集会」が開かれた.それを報じる田中龍作ジャーナルレイバーネット.福島告訴団は人間としての尊厳と権利のために東電と政府を告発した.そうしなければならないだけの理由が,日本の現実,人権後進国の現実にあった.そしてそれから1年の集会である.ところがこの日の集会も,また,大手新聞は一切報道しなかった.新聞やテレビは検察を恐れている.どこが「日本は世界一の人権先進国」だ.
 また,同じ田中龍作ジャーナルの「原発さえなければ」 自殺した酪農家の妻子が東電を提訴によれば,東電という企業は,「原発さえなければ」と書いて自死したその遺族に対して,「因果関係を客観的に示す証拠を出せ」と言う.東電との交渉ではらちが明かず提訴したのだ.日本の刑事司法はこの東電を捜査すらしない.ここにもまた,「これは『人間の国』か」と問わねばならない狂った国の現実を見る.
 そのなかで,それでも諦めずに声をあげ続ける人々がいる.いつも官邸前での金曜行動を主催している首都圏反原発連合が,今日は東京で,「0602 反原発☆国会大包囲!」を開いた.告訴団の集会か2日の行動に行きたかったのだが,31日も今日も,こちらは仕事や私事が重なって,上京は出来なかった.同じ田中龍作ジャーナルレイバーネットの報告を読ませてもらう.
 追伸SPYBOYさんの報告が出た.一般参加者の視点ですばらしい報告だ.
 また,芝公園でも「さようなら原発一千万人署名」市民の会主催の集会があった.狂った国の中で正気であろうとすれば,行動するほかない.行動して考えるしかない.行動というのは,街頭に出ることともに,それだけではなく,一人一人が自分で考え,その生活やその人の在り方をを少しずつでも変えてゆくことなのだ.
 そしてまた正気な人の言葉に謙虚に耳を傾けることなのだ.小出裕章さんインタビュー②(人民新聞1482号所収)で「除染は「移染」にすぎない.放射能無毒化は不可能」と語り,その上で「福島第二原発敷地を核のゴミ捨て場にするしかない」という.編集部のリードを紹介すると,小出さんは

 除染は、環境の循環によって効果は上がらないが、子どもの健康を守るために、何度でもやるべきだ。集めた汚染ゴミは、できれば東電本社に返すべきで、それができないのなら福島第二原発をゴミ捨て場にすべき。事故原発収束作業は呆然としてしまうほど、困難な事業である。海洋汚染は、太平洋全域に広がっており、その実態は識りようがない

と語った.その困難さは「地震・原発・災害情報のまとめブログ」にも詳しい.ところが日本の安部政権は今月中にまとめる成長戦略の素案に「原発活用」を盛り込む.原発による経済成長とは何なのか.それを考えれば,ここにもまた,「これは『人間の国』か」と問わねばならない狂った国の現実がある.
その小出さんが生活の党の小沢一郎さんと対談した.小沢さんが小出さんの所まで足を運んだ.その記録が生活の党 小沢一郎党首と京都大学原子炉実験所 小出裕章先生との対談である.また晴耕雨読さんのここに,全文の書き起こしがある.小出さんの言葉を聞くと,東電核惨事がどんな途方もない人の力のおよばない惨事であるのかが分かる.と同時に,小出さんは,事実を事実としておさえて,どのようにしてゆくのかを考えようと提案される.われわれもまた,この現実に向きあい,福島原発の処理と廃炉の道筋を,この列島に住むものの責任で考えなければならない.
 現代日本ほど,人間というものがないがしろにされる国はない.これほどの人権後進国はない.それでもまた,この狂った国の中で,正気を保ち,また正気を取りもどした者たちが声をあげ,行動をはじめた.そうしなければ人間としての尊厳は守れない.やむにやまれぬところからの行動だ.人間原理を打ち立ててゆくために,人々は手を取りあわなければならない.「これは『人間の国』か」との問いを経て,一歩また一歩『人間の国』を作ってゆかなければならない.