これまでの歴史にない動き

 今日,土曜日は,梅雨明けはまだとはいえ,地面は湿気があるのに,空気は乾いた晴れた日になった.今日は,2カ所に参加してきた.先ずは午前11時,大阪駅前の「生活の党応援隊」の街宣.数名の人がやっているのに加わる.彼らは毎日毎日2カ所くらいの宣伝活動を続けている.私の方は,仕事があるから,土曜日しか参加できないのだが,本当によくやると思う.3日まで,つまり4日の参院選公示まで,あと4日続けるそうだ.どの人も演説もうまくなって,「応援隊」というより「しゃべりたい」という感じの,元気な老人が中心だ.勝手連的に「生活の党」を応援するというのは,そういうことだと思う.このような老人たちの持続する運動はこれまでの歴史になかった動きだ.これは小沢氏に対する旧体制のあまりに非道な仕打ちが,逆に生みだしたものだ.
 追伸(30日):私はテレビを見ないし,新聞もとっていないので知らなかったが,鳩山元首相の尖閣諸島に関する発言が,テレビや新聞でずいぶん攻撃されているようだ.これについて,演説している写真の彼は「鳩山さんの言っていることは至極もっともなこと」と力説していた.ざっと論点を追うと,私もそうのように思う.小沢氏に続いて鳩山氏への攻撃が,旧体制によって仕組まれているようだ.
 応援隊の彼らと一緒に昼を取り,それから彼らは御堂筋の新橋交差点に移動.そこでまたやる.こちらはTwitNoNukes大阪Twitter)主催の反原発デモに加わるため,難波の元町中公園まで移動.三々五々集まってきて,200人というところで出発.その後も増えて300人というところか.若い人が中心のデモで,大阪アメリカ村の中を通ったが,風景になじんでいる.そこにわれわれの年代が少し加わるという感じであった.炎天下,老人にはやや厳しいデモ日よりとなったが,最後列を歩いてきた.かつてならデモに来る感じではまったくない若者が,ドラムや太鼓を鳴らし,「原発いらない,再稼働反対」を叫んで若者の街・アメリカ村を練り歩く.これもまたこれまでの歴史にあまりない動きである.これは,東電核惨事の人間の手におえない悲惨な現実が生みだしたものだ.
 土着型と近代型
 これらのことは,一人一人の生き方を問う.ずっとまえに日の丸をもって関電前行動に来ていた人と昨年9月8日以来の再会であった.お互い「やあやあ」と名刺を交換しこれからの交流も約束した.「原発問題以降,旧来の右や左という分け方はもう意味がないですね.」などなどいろいろ話をした.実際,核惨事が浮き彫りにしたのは,旧来の右翼左翼という区分より,もっと深い日本社会の分裂である.私はそれを,土着型と近代型と分けている.
 1950年,日本共産党が分裂した.このときの一方の側,徳田球一らの主流派は土着型左翼.宮本憲治や志賀義雄ら国際派は近代型左翼.その流れは今日に続いている.現在の右翼でも,英語名の雑誌を拠り所とする近代型右翼,これを私は「親米売国のエセ右翼」と呼んでいるが,これと,それに対する抗米愛国右翼の流れがある.今日会った人なども,この土着型右派の人ではないだろうか.保守政治家では小沢一郎が土着型政治家,民主党に残った者やほとんどの自民党政治家は近代型保守政治家.人のことを言う以上自分のことをいえば,私は土着型左翼であろうとしてきた.そしてまたこの区分けは,実は一人一人の生き型(方)の問題でもあると思う.今日デモを主催している若者は,どこかで土着の生き方に惹かれているのだ.
 この日本の分裂は,ある意味では近代日本の複雑さであり,宿命であり,政治勢力としての現象的な右左の対立よりはるかに根は深い.この問題は,自分自身の問題として,もっと掘り下げて考え,書き残しておきたいと思いながら,まだ,はるかに前のその前提の作業しか出来ていない.土着型も近代型も取りあえずの名称で,いい表現でもない.いずれにせよ,私の分析や理論化を越えて,歴史の現実は進む.当面する参院選の結果にかかわらず,これらの新しい動きは,新しい歴史をきりひらいてゆくだろう.
 等々考えながら,デモが御堂筋を南下しはじめたところで,隊列から離れ新橋交差点まで北へ歩いて,応援隊に再合流.それから梅田に戻って一休み.炎天下のデモのあとのこの冷えたワインの美味いこと.明日からのこともよろしくといって,夕方戻ってきた.こういう一日もあってよい.