夏の京都の一日

 今日は昼前から夕方6時頃まで京都にいた.四条河原町阪急電車を降りて街に出ると,祇園祭,御霊会の山鉾の準備の最中であった.写真は菊水鉾.大きな鉾はもう完成し観光客を上がらせている.3.11核惨事の後,私にとって祇園祭は鎮魂の祭である. 本当はこの祇園祭のときこそ日本中で鎮魂のときであるべきなのだが,実際のところ,街ゆく人々は観光である.それでも「祇園祭山鉾」にも書いたように,この祭が東北地方で貞観地震のあった年にはじまる鎮魂のまつりであるという歴史を忘れないでほしい.
 街中の鉾を少し見て地下鉄今出川駅まで行き,同志社大学の所に出ると,ものすごいにわか雨.烏丸今出川交差点のタイ料理の店で食事をして,しばらく同志社大の食堂で雨宿り.それから北となりの相国寺に移動.智勝会のOB座禅会に参加してきた.日程は,参加者と雲水ら皆で読経,一時間の坐禅,老師の『臨済録』提唱,そして書院にて薬石,つまりは歓談食事.
昨年はじめてこのOB会に参加した.そのときのことは「相国寺僧堂」に書いた.OB会が始まって今年で4回目.昨年に続いて上田閑照先生も,お元気な姿で参加されていた.上田先生の自宅にも伺ったことがある.
 読経といってもこちらは「ナムカラタンノー,トラヤーヤー」しか唱えられない.このところだけは今も覚えている.にわか雨が塔頭をつつみ,雷も激しい.遠雷,近雷,雲水の読経,そして鉦の音と,不思議な世界であった.それから僧堂(坐禅堂)で座禅.ここでも遠雷,近雷は止まず.呼吸を整え,座にひたる.丹田に意識を集中し,線香一本の時を二回過ごす.そして我に返る.この座禅会は,私にとって,1年に一度の欠かせないことになった.
 僧堂のある塔頭を出たところに相国寺の鐘楼がある.下の写真.ここで今も毎日,夕刻の定時に鐘がつかれ,次の四弘誓願文が唱えられる.

  衆生無辺誓願度  煩悩無盡誓願断  法門無量誓願學  佛道無上誓願

 これは記憶で書いたが,まちがいない.佛教の基本思想である.昔,終日僧堂で坐禅をしていると,夕刻この声が聞こえる.耳で覚えて,今も忘れない.そして私が,さまざまの試行錯誤をくりかえしたのも,大学二年の時に覚えたこの四弘誓願文に突き動かされていたような気がする.帰りに雲水さんに聞いたが,これは今も続いている.室町時代から六〇〇年以上,戦火や地震で鐘楼が失われたとき以外は,欠かさず続いている.応仁の乱のころは何度も焼けているし,天明の大火でも焼けている.それでも続いてきた営みである.今日これを聞いて帰るつもりもあったが,用ができてできなかった.必ずもういちど聞くつもりだ.
 前にも書いたが,今生,再び相国寺僧堂で坐禅をすることはないだろうと,ずっと思っていた.しかし,一昨年,私の青空学園のサイトを見つけてくれた人がいて,とりわけ「不安と求道」を読んでくれた人がいて,私の仕事場をつきとめ,OB会をはじめているという手紙をもらった.何が縁となるのかはわからない.
 智勝会自体,西田幾多郎など,近代日本の,それこそ土着型哲学の形成を目指した先人の営みにはじまる.京都学派では,西谷啓治先生のエックハルトキリスト教神秘主義に関する論文を,高校生の頃耽読した.そういうこともあって,大学2年の頃,智勝会に加わったのだ.西田幾多郎のような思想形成の方法もまた,六〇〇年続く禅修行の営みの流れのうちにある.私にとって,このような流れに,いささかでも加われること自体,喜びであり,また厳粛な気持ちでもある.動けるかぎりは続けるつもりだ.それにしても,私が自分で立てた課題に比べて,なしえたことのなんと小さいことか.それでいいのだ.そんなこと気にせず,牛の如くに歩め.これもまた佛教の教えである.
 追伸14日:今日も夜は京都.昔の京都のベ平連ベトナムに平和を! 市民連合)で知りあった浜田信夫さんが『人類とカビの歴史』という本を出した.それにかこつけての,飲み会に行ってきた.彼とは2年前に再会していたが,この歳になると,次の機会に自分がいないかも知れないし,誰かがいないかも知れないという思いがあって,誘われればゆく.昔「人間なあ〜んて,人間なあ〜んて,ララララ〜」とギターを弾いていた人にも,それこそ40年ぶりに再会した.等々,祇園祭歩行者天国で賑わう四条河原町北西の路地裏にある「静」(YouTube)という,40年前と風情のかわらない,懐かしい居酒屋でのひとときであった.静で一杯やりたい人あれば,ご案内します.