金曜行動再び

 昨日のことから.うり坊が1頭死んだ.昨日夕方,家族が犬の散歩に出ると,道の向かいの少し上の所の排水溝に,何かが死んでいる.こわくてよく見ることができなかったが,毛が茶色のようだったという.私は夜遅く帰って,それならイタチかなと考えたのだが,今朝確認すると,うり坊,猪の子が車にはねられて血を流して死んでいた.役所に連絡すると間もなく回収していった.彼らの行動半径は広い.7月7日の写真にある3頭のうちのどれかかも知れない.いつも一緒にいたのに,そのうちの一頭がいなくなったのだ.現代は彼らにとっても生きにくい時代である.うり坊は人間に何かを教え,そして何かを訴える顔で横たわっていた.短い一生だった.我々がその声を聞かねばならない.
 その昨日の昼は,生活の党の選挙ビラを300枚,地元のポストに入れて廻った.町内会の役員もしているので,誰かに出会うかな,と少し気にしていたが,真夏の昼間,あまり人出もなく,誰かと目をあわすこともなく,1時間半ほど炎天下を歩いた.支援するという以上,体を動かして支援する,というのが基本.不言実行,出来ることはしようということで,生活の党がビラ配布者を求めていたので,メールしたらすぐ送ってきた.それで自分の町内を回った次第.最後の集合住宅はもっと入れられたが,チラシが足りなくて終了.しかし,することはした.生活の党に,配布の報告と参院選での最後までの闘いを願うこと,そして最後に「結果に一喜一憂せず,先を見て進まれるように,祈ります」とメールしたら丁重な返信が来た.それにしても炎天下を歩いた後のビールのうまさ.昼飯を作り,それから昼寝.京都に移動して3時間授業をした.これが昨日のことである.
 生活の党小沢党首にIWJの岩上さんがおこなったインタビューがよい.議会政党の党首として,いいうる限界まで語っている.それにしても,小沢氏に対して感覚的な悪印象を持つ人は多い.前に私の身内が家に来たとき,小沢氏の印象の話しになった.そのときうちの彼女が「それは作られたイメージだ.あの人は何も悪くない」とピシャッと言ったのを感心して聞いていた.その通りであり,事実,彼の諸々の「事件」は司法検察による冤罪,国策捜査の冤罪である.それを利用してマスコミが何かあるように報道する.そしていまだに,そのイメージにとらわれている人が多い.
 私は小沢氏が嫌いではない.というより,保守政治家として尊敬している.問題はしかし「何も悪くない」のその先である.つまり,その上で,どれだけ,旧体制と闘う人々の運動と組織を作ることができるのか,ということである.その点において,われわれにはまだまだ余りにも課題が多い.これは生活の党や小沢氏がどうこうという問題ではない.共通の目標をもつはずのものが,なぜ同じ相手に対して統一して行動できないのか.
皆まだ本気ではない.反対する少数派であることに自己満足し,おのれの組織の保持や拡大を優先するところがまだ余りにも多い.しかし,いよいよ再稼働は現実の動きである.この夏から秋にかけて,旧体制と原子力村にそのようなことをさせないという闘いは正念場を迎える.目前の数に惑わされず,どれだけ筋を通して生きるのか,行動するのか.歴史は一人一人に生き方を問う.
 そして今日,関電前行動に参加.およそ150人と言うところか.いろいろ新しい人も参加してきていて,ほんとうに主催者にはご苦労なことだと感謝する.もっといろいろ運動やっている人との輪を広げてほしいとは思うが,彼らも精一杯やっている.8月は8/30の金曜行動はいけそうだ.その他にもデモなども計画しているので,できるだけ参加したい.
 関電前でいつものように声をあわせ,それから,あの日の丸の人と会食.いろいろ話をしたが,意見の一致した最大の点.三島由紀夫自死したのは,昭和天皇への絶望と抗議の故である.実際,昭和天皇は皇統の維持を最優先し,戦後日本をアメリカに売り渡した.それが,戦後体制であり,旧体制であり,原子力村であり,それが結局は福島核惨事を引きおこした.三島由紀夫は,彼を讃える多くの者が今も昭和天皇を疑わないのとは裏腹に,昭和天皇のこの戦後の転向に深く絶望した.昭和天皇が最大の売国者であった.ここに日本の民族派の根本的矛盾がある.「などて皇(すめろぎ)はひととなりたまひし」という『英霊の聲』における三島の一文は,戦後の昭和天皇へ抗議の言葉である.このような話をして,もういちどゆっくり,戦後の昭和天皇への総括をふくめいろいろ話しあおうと言うことで別れた.
 いずれにせよ,問題は議会政治ではいかんともならならない.実際の大衆の街頭行動がすべてを決める.金曜行動がもっともっと発展し,それぞれの地域で若者と老人が町内の広場に集まり,この国とそして地域の将来について話しあう.原発は必要なのかを話しあう.そんなときが来るのか.そう考えていると,田中龍作ジャーナルが伝えるように,今のトルコではそれがはじまっている.ブラジルの動きも,我々を励ます.ということで,いろいろと考えることの多い週末であった.こちらはI期が終わり夏休みと言いたいところだが,塾の夏期講習の予定が決まると,それを待っていて,あちこちから仕事の依頼.ほとんど休みのない夏になりそうだ.