On lâche rien:あきらめないぞ

 植草一秀さんの『知られざる真実』で,貴重な映像を教えていただいた."On lâche rien"である.「lâcher」は「そのままに放置する」ぐらいの意味であるから,「あきらめる」つまり「明らかにすることを止める」とほぼ意味は同じ.よってその否定形の翻訳は「あきらめないぞ」.2011秋のある日のパリのデモの様子.若者が唄い年寄りまで皆が唱和する.そこでの歌とその訳がついている.その歌詞を再度訳したのを「ウィンザー通信20110917」さんが提供されている.この映像と歌詞,これはぜひ一見を.
 私は,実際感激した.クリニャンクールで店を出していた若者,エッフェル塔の下でミサンガを売っていた若者を思い起こす.そして地上の華やかさと裏腹なパリメトロのあの暗さ.フランスは階級制度が明確な国であり,その一方でフランス革命の記憶を忘れない国である.唄っているのは,戦後の復興期の労働力として,マグレブコートジボワールなどから親や祖父の代にフランスに来た人たちの後裔だろう.二年前のこの映像は知らなかった.これを教えてくれた植草さんに感謝.
夏の生きもの
 実は今日はこれを書こうと思っていたのだ.夏の植物,ガジュマルとその影のキジムナー.このキジムナーは数年前,那覇の店で買った素焼きのもの.ガジュマルは冬の寒さに耐えられない.それで鉢植えにして冬は家の中に入れる.しかしこの生命力.挿し木でもどんどん増える.これはまったく驚くばかりだ.
 それから川辺で羽を休めるオニヤンマと真っ赤なナツアカネ.今日は河面を旋回するギンヤンマも見つけたのだが,ギンヤンマの飛行力は強い.なかなか止まってくれないので撮せない.それから夕方のセミ.一本の木にクマゼミが八匹とアブラゼミが一匹.確認できるだろうか.もう一つは,今年見つけたタマムシの羽.タマムシは飛行力が弱く,カラスなどによく食べられる.それで,羽が地に落ちている.去年は生きたのを見つけたが,今年はまだ.これが六甲山系の麓の夏の生きものたちである.それにトカゲとシマヘビ.ムカデにゲジゲジ.生きものと人間はこうして共生してきたのだ.
 昨日から夏の授業が京都で再開.帰りは行きつけの店.もう10年以上通っている.写真は今夜食べた鱧のおとし.梅肉で食べる.これがなければ京都の夏は過ぎてゆかない.これについている大根の千切りは,機械で切ったものではない.店長が大根を大きな包丁で外から皮をむくようにひらいていって,それから細かく切ったもの.写真は少しピントが甘い.鉢の向こうに写っているのは鱧の子の塩焼き.店長がくれた.しばし京都の夏を味わいながら,西宮に戻ってきた.
 生あるうちにやっておきたいことごとを考えてみる.あれもこれもときりがない.そのくせ,酒があれば時間を過ごす.まったくなんといういいかげんな人生だ.それでもどこかで「あきらめないぞ」.歴史は転換する.人間は行動し,考え,そして再生する.