夏祭り

 昨日,関電前行動はあったのだが,夜の8時30分まで授業があり参加できなかった.今日は,生活の党応援隊の街宣があったのだが,これにも地元で用があり参加できなかった.仕事はもちろん,地元の用事を優先するのは仕方がない.というよりこれが基礎.
 地元の用事とは,連合町内会の夏祭りである.私の住んでいる地域は,大正時代に,それこそ大正の文化主義の中で,阪神間の遊園地として,動物園や歌舞劇場,映画館,撮影所,料理旅館などが開かれた土地である.阪神間にはこのような遊園地がいくつかあったが,いまも生きているのは甲子園とそれと宝塚くらいか.甲陽園,甲東園,香櫨園などは住宅地になった.ここ甲陽園も,昭和になって遊園地としては衰退.戦後になってすっかり住宅街になったところである.いまは集合住宅もたくさんできて,まだ建てようとしているが,とにかく人口は多く,小学校も過密である.遊園地の中心は大池という池.これはおそらく明治まで農業用水のため池だったはずである.池を埋め立てたところだろうが,池の畔にある広場が夏祭りの会場.祭会場の遠景は濃い緑の中にある.
 会場への入り口の一つの交通整理がこちらの担当だった.その仕事の時間までに子供御輿が出発するので,どんな御輿かと見にいったら,なんと学校の工作の時間に皆で作ったような御輿.子供有志が集まって作ったそうだ.考えればそれもいいではないか.親が子供を見送って,祭の会場に隣りあう小学校から皆で元気に出ていった.校区の中を一時間練り歩く.これは参加した子供には確かに忘れられない記憶になるだろう.こうして何かが引き継がれてゆく.そういうことではないだろうか.きっと祭とは,こういう人間の本能的なものが生みだした智慧なのだ.
 それからこちらの担当時間まで交通整理をして,その後会場へ.多くの人が三々五々入ってゆく.この地に長く住むものは少ない.こちらもまだ15年ほどである.そして,何人かの浴衣姿の人を中心に,盆踊り風の踊りの輪.来ている子供たちは,日常とは違う世界に出会って,小遣いももらってそれぞれに明るい.いろんな自治組織が夜店を出す.昔の祭の縁日に出る伝統的な夜店とはまた違う.そして,こういう場で日頃の親子や隣近所の関係と少し違うところを経験するのも祭の効用ではないか.こちらも提灯を見ていると,観光化されていないだけにかえって厳かな何かを感じる.
 日本列島弧の祭といえば,本来は,農耕文明と,それに神道や仏教に由来する宗教的な脚色が加わって成立する.盆踊りがそうだし,地蔵盆もそうだ.しかし現代にこの地に住む人々は農耕文明とは切れた仕事の人がほとんどだ.そして祭も目立った宗教性はない.それでも,どこかに先祖の記憶が残っているのだろう.小さい子供に浴衣を着せて,若い夫婦も結構やってくる.この祭は明日もある.もう一日つきあわねばならない.
追伸:4日.今日も夏祭り.それぞれ1000人以上は来ているので,延べ2500人というところか.この地の人口のどれくらいになるかはわからないが,地元の祭としてそれなりに生きたものとなっている.昨日今日と顔をあわせた人たちとビールを飲みながらいろいろ話しもした.われわれと同世代か少し上.それぞれにあの神戸の地震がここに住むきっかけになっていた.そうだったのですか,という話しになる.
また,ここには外国人と日本人の夫婦もたくさんいることもわかった.今日喋った彼はイギリスの人.子供ですと紹介してくれた中学くらいの男の子と小学上級の女の子は,確かに日本人との混血.イギリスには夜このように祭をすることはない.いいですね,といっていた.昨日は黒人男性と日本人女性の夫婦もいた.それぞれ,どんなことを思ったのだろう.聞いてみたいものだ.
 今日は仕事のやりかけで出たので,途中で帰ってきた.このような祭が,日が重ならないようにしながら各小学校校区ごとに行われている.阪神間の六甲山系の麓のある町の夏祭りである.昨日撮った子供御輿を追加.どこか宗教のはじまりを彷彿とさせるではないか.いろいろと勉強になった二日間であった.