関電前行動再び

関電前抗議行動が再開である.
汚染水の問題,子どもの避難の問題,再稼働の企ての問題,事態は急である.そのなかで,八月の終わりに,大阪の関電前抗議行動が再開された.今日は昼から雨.夜どうなるだろうかと思いながら昼すぎまで授業.いったん戻って出かけるときはまだ雨が降っていた.が,六時半過ぎに大阪の地上に出ると,雨あがり.いつものように人が集まる.はじめは100人くらいか.それがだんだんと増え,八時前には150人を超えていただろう.地下鉄の駅から現地にゆくまでに歩いて汗をかいていたが,海風を背に受けているとそれも乾く.目にはさやかに見えねども,もう秋なのだ.風にそれを感じた.
この間のいろいろな世の動きについて,考えるべきことは多いのだが,明日朝が早いので,それは順次書き足すことにする.とりあえず今日の写真.子どもが母親と一緒に来ていた.このような光景は忘れがたい.新しい世代と人間が育っていることの証しだと思う.「日本の伝統食を考える会」.そうそう.日本の伝統食を次代に伝える会である.東北の太平洋域の魚は,もう今後十世代以上にわたって食べられない.政府がなんといおうと,核汚染された水が毎日三百トンも海に流れ出ている以上,もうだめである.このうえ,柏崎で何かあれば,日本海の魚も食べられない.日本の伝統食を守るためにも,再稼働はありえない.冗談で言っているのではない.そういう危機に直面しているのだ.
福島県はもともと地下水脈の豊かなところであった.福島原発の下にも地下水脈が通っている.そこに原発を建てたのだ.その地下水脈が地中深くにいってしまった核燃料に触れ,冷却のために放水している水とともに,核汚染されて海に出る.それを堰き止めようとしているが,そうすると行き場を失った地下水が原発の下にたまる.少しの地震でも液状化が起こる.原発の基礎は大きく損壊している.建屋が大きく揺さぶられる.その次に何起こるか.考えるだけでも絶望的な事態である.この問題で最悪を想定すればそういうことになる.
最悪に備えて最善を尽くす.これが事故が起こったときの基本的な心構えである.しかし東電や政府のこの二年半は,最悪の事態は見ぬふりをしてその場しのぎで時間を過ごし,そして最善を尽くすべくやっていれば防げたであろう第二次,第三次の危機的な事態を引きおこし,いよいよどうにもならなくなってきた,ということである.人ごとのように言うべきではない.それを許してしまったのは我々だ.そのことに心を痛め,やむにやまれぬ気持ちで人々が集まる.行動する.全国各地で行われている抗議行動の思いは一つである.