秋のおとづれ

 京都嵐山の洪水には驚いた.身近なところだけに,まさかと思ったが,川幅が渡月橋のあたりで狭く,前から危険性は指摘されていたようだ.昔,昭和28年の台風で宇治川沿いの家が床上まで水につかり,石段の上の橋寺に避難したのを思い出した.洪水はとにかく後片付けがたいへんなのだ.一日も早い復旧を願う.
 そして今日は台風一過.雲のない快晴である.夏の間,感覚は外に向かう.それが秋を感じる頃から,内に向かいはじめる.この言葉と同じ内容の言葉が,森有正のフランスでの一文のなかにあった.昔,それを読んで深く印象に残った.どこにあったのだろうと,手元にある森有正の本:『バビロンの流れのほとりにて』,『砂漠に向かって』,『遙かなノートルダム』,『旅の空の下で』,『森有正全集第5巻』,『森有正全集第12巻』のなかの,夏の終わりから秋のはじめの文章を読んでみたのだが,見つけられなかった.
 代わりに,1968年5月,パリ・カルチエラタンでの学生反乱や当時の青年運動をふりかえることも含めて書かれた時代考察「暗く広い流れ」(1971年,雑誌『展望』,全集第5巻所収)のなかに,一文

5月事件で象徴される現代の革新は,…,本質的に人間関係の水位における解放の問題であって,例えばフランスにおいて,階級闘争の水位における解放を使命とする共産党が学生の運動に対して終始懐疑的であり,ときに敵対的でさえあったのは,根本的にはこういう理由に基づくものであったと思われる.

を見つけた.68年の運動は,ベトナム解放戦争とともに,経済を第一とするこの800年続いた時代から,人間を第一とする時代への転換の,その先駆けであったというのが,私の持論だ.森さんの一文は,実際にフランスで,その現場にいたなかで書かれたものであるだけに,「人間関係の水位における解放の問題」であるということについて,「そうなんだ」とこちらをうなずかせるものがあった.
もう一つは,1959年9月6日に南仏はソミエールで書かれた一文である.彼はそのとき,バカンスで,ソミエールの古い建物の一室を借りて過ごしていた.『バビロンの流れのほとりにて』の373ページより.

僕の泊まっている家の持ち主も,この地方で,十七世紀から続いている新教徒の古い家柄である.新教そのものというより,新教が少数派ながらこのように根を下ろしうるような要素がフランスの社会にはあるのである.十七世紀の合理主義,ジャンセニスムガリカニスム,十八世紀の啓蒙思想,十九世紀の実証主義やアナルシスム,あるいは社会主義はこの基礎を除いては考えることができないであろう.

 文明の交替を想う」にも書いたが,私は,この「伏流としてのもう一つのフランス」が,十三世紀に,北方フランク王国とローマカトリックによるアルビジョア十字軍によって亡ぼされた,地中海文明としてのグノーシス,そしてカタリ派に起源をもつと考える.このように実際に現地で受けた印象基づく「もう一つのフランス」を語る言葉は貴重である.アルビジョア十字軍は,この800年におよぶ西洋の世界支配のそれこそ先駆けであった.
 ソミエールは,南フランス・ラングドック地方の都会・モンペリエから,北へそんなに離れていないところにある小さな町である.写真は,2009年のもののようだが.「地中海の☀お陽さまが好き!!」さんが紹介しておられるのがいい.また,「プチデコ日記」さんのこれもいい.こちらは2011年.私は4年前にモンペリエに行ったが,このソミエールには行けなかった.もういちど南仏に行きたくなった.
 森有正はソミエールの古い屋敷の一室で,全身を南仏の文明に浸しながら,その思想を深めたのだ.昔読んだときには見過ごしていたことが,読みかしたときに,その後の自分の経験と問題意識に照応して,こんなことも言っていたのだとわかり,その人と自分の相互理解が深まる.何かの折に読みかえすことの大切さを思い知った次第である.
 さて秋になり,途中で止まっている青空学園の諸々の制作に打ち込まなくてはと思っていると,二つのメールをもらった.一つは「終結式と不変式」のなかの論証の不十分さを指摘するメールである.数年前に教え,いまは阪大の数学科の院生の人からである.六年ほど前に書いたものなので,すぐには自分でも考えられない.結局,一昨日の晩は寝ていてもそれを考えていて,ほとんど寝ないままに,朝起きて,昨日の午前中かけてその改訂をした.午後は3時から9時半まで休憩を入れながらの授業であった.もう一つは,雑誌『初等数学』2013年9月号に投稿した「単位分数のエジプト分数による下からの近似」を読まれた人から,別の方法で同じことを考えているという研究会での報告と,数学セミナーへ投稿された一文のPDFファイルを送っていただいた.これも読みとおした.
 ということで,秋.仕事と思索とそして行動の季節である.写真は西宮のシンボル・甲山と,わが家の瓶に咲いたホテイソウの花.朝に咲いて昼には凋んでしまう.