都知事選を終えて

今回の選挙では,考えさせられることが多く,また希望の芽も多かった.歴史主体の形成という観点から,避けられない問題を,この間の続きでとりあげたい.選挙を終えた日本共産党志位委員長の言葉を日本経済新聞は伝える日経新聞の報道なので,脱原発の側にさらにくさびを打ち込もうと,ここを強調したということはあるだろうが,しかし発言は事実だろう.宇都宮陣営は,まず「舛添に勝てなくて残念」と言わねばならない.ところが「細川に勝って達成感」である.

共産党志位和夫委員長は10日、同党が推薦した宇都宮健児氏と党本部で会談し「大健闘だ」と総括した。宇都宮氏は「元首相連合に勝った。達成感がある」と伝えた。

これを読んで,おい,そこから入るか,と言うのが最初の感想であった.舛添に敗れたことは横において,細川に勝ったことで盛りあがる会談.考えるだけでもおぞましい.二人の会話での「大健闘」とは,脱原発のための闘いでの健闘はなく,細川陣営との闘いにおける「健闘」なのだ.そして,志位委員長という人が,脱原発の実現よりも細川陣営に勝つことを重視していたことがよくわかった.ここに,この人とその党の堕落が如実に示されている.宇都宮候補を応援した人は,「元首相連合に勝つ」ために今回の選挙に取り組んだのか.そうではなかったはずだ.脱原発を求め,そのために闘ったはずである.その人たちを,志位委員長の側は,まさに利用したのだ.
宇都宮陣営にとっては,原発再稼働と軍国主義をめざす舛添候補と闘うことが主なのではなく,その敵の前では同じ側に属するものの間での闘いが彼らの主な問題意識であったのだ.「達成」とは客観的には舛添を当選させたこと以外にありえない.むのたけじさんの言葉「争われるのは都知事のイスひとつだが、そこに込められた時代の問いかけは、第三次世界大戦原子爆弾の乱れ飛ぶ世界を許すのかどうかだ。大事な大事な分かれ道だ」を借りれば,この分かれ道において,戦争の道を選ばせたという「達成」である.そのことがまったくわからず,現実の歴史過程において,実際には利敵行為をして,そしてそれに気づかない.それを自ら白状しているのが宇都宮氏の「達成感」という言葉である.それは結果として票を二分し舛添を勝たせるための働きをした.ここにこの党と宇都宮陣営の果たした歴史的な役割,つまりは戦争に向かう旧体制の補完勢力としての役割が,自らの言葉で語られている.
ではどうすべきであったのか.今回のことでいえば宇都宮陣営の側が,つまりは,より問題を下からとらえている側こそが,自ら降りて細川側を下から支え,統一しなければならなかった.宇都宮陣営からすれば「毒を以て毒を制する」でよいのである.コミンテルン国共合作も,反ファシズム統一戦線の呼びかけは,当時の左派の側からなされた.数の問題ではないのである.それをやり,自らの側に参じた人々を説得してでも,選挙行動では統一すべきであったのだ.
私は,宇都宮氏がこれまで果たしてきた貧困問題などでの役割を尊敬している.今回,宇都宮陣営に駆けつけた若い人らは,彼の尽力によって救われたという人も少なくない.そしてこの点に関して言えば,小泉氏が企業への規制を緩和し格差社会を生みだす政策を進めたこともまちがいない.しかし,ここは現実政治である.舛添が勝てば,宇都宮氏の掲げる政策の実現は絵に描いた餅である.脱原発で細川と共闘し,細川都政の中に食いこんでこそ,その政策を少しずつでも現実化する契機が見いだせる.宇都宮陣営に駆けつけた若い人らには,ここを理解してもらいたい.
手元に,19771年初版発行,藤子不二雄著『劇画 毛沢東伝』がある.1919年,二十一箇条の要求を押しつけた日本とそれを受け入れる袁世凱といかに闘うのか.それをめぐっての毛沢東の言葉が載っている.

私は子どものときから純粋な叫びが,それを訴える方法が素朴なために,いともかんたんに消されるのをなんども見てきました.正義を通すためには,方法を選ぶべきです.

がある.消されるとは,まさに農民が地主に殺されることであった.そして実際に,毛沢東は,湖南省総督・張敬堯が数十万の軍でもって湖南省を荒し,民衆の苦難が極に達したとき,「毒をもって毒を制す! 軍閥をもって軍閥を制す!」と同じ軍閥の呉佩俘に出兵を求める.そして呉佩俘に張の軍を湖南から追い出させる.後の国共合作は若いころの毛沢東の経験にもとづいている.
このような中国での経験からすれば,われわれの政治はまだまだ未熟である.宇都宮陣営に参じた若い人らの「純粋な叫び」を肯定するからこそ,その思いを現実化する「方法としての統一候補」が必要だったと考える.だがそれはできなかった.結果,これから安倍はいっそうの規制緩和を進め,格差をひろげる.それに歯止めをかけるのは舛添を落とすことであった.それはできなかった.「純粋な叫び」はまさに消されてゆくだろう.これを血の教訓としなければならない.
それでもこの一ヶ月,沖縄では稲嶺候補が勝った.東京では舛添候補が勝った.これが歴史の現段階である.この現実から,再び歩き始めなければならない.戦後日本の議会選挙は,いつも衆愚政治そのものであった.メディアを使い感覚的な目前の利益誘導で票を集める.それが選挙であった.そのことに気づかないままに操られてゆく衆愚政治であった.しかし今回ほど有権者が,マスコミの争点隠しのなかで真剣に考えたことは,なかった.
政治を自らの側に取りもどす,そういう選挙となった.純粋な気持ちで宇都宮陣営に参じた人々は,志位委員長の先の言葉に怒らなければならない.同時にまた反省もしなければならない.多くの意味で,都知事選は大きな教訓と経験を残した.これを教訓に,敵の前で同じ側のものの争いにばかり熱心な党派や陣営絵を乗り越え,人々の正義を通し,脱原発を現実にするための方法を身につけなければならない.