春の盛りと自発的隷従

追伸(6日):先日の「標的の村」上映会では,土曜日,日曜日の昼と夜,合計4回の上映で,500人以上が参加.主催した人は,もし経費以上の収入があれば高江の現地の取り組みにカンパしようと考えていたが,それはないだろうとも思っていたそうだ.まさかこんな集まるとは思っていなかったのだ.その夢が現実になったので,彼女はこの金曜日から日曜日,カンパと参加者のアンケートの一言を入力し刷りだしたのを持って沖縄は高江までいっている.
世は春の盛りである.昨日から京都で授業.地元の夙川公園の桜と甲山の遠景.そして京都四条河原町高瀬川の桜を撮してみた.多くの人がそこに集い,またカメラを向ける.四条で電車を降りて五条通り,七条通りと北から南に京都駅まで歩いた.京都の街の裏通りを歩くのが好きだ.暑くなるまで,京都で授業のある日は歩くことにしているとのこと.高瀬川に沿って木屋町通りを歩く.たしかにこの満開の桜は人をひきつける.しかし同時にまた憂いをふくんでいる.
京都駅前の本屋で雑誌『DAYS JAPAN』を買う.この雑誌が出て10年.「イラク戦争での報道批判から,DAYSははじまった」とあるように,この10年を総括する文章はいずれも読み応えがある.この10年の現実はこの雑誌のこころざしとは裏腹に,加藤登紀子さんが書いているように「破壊と戦争の世紀だった20世紀を越えて,もっと聡明な人類史へと21世紀を踏み出したい,と願ってもう14年.取り返しのつかない破壊と暴力ばかりが大手をふっている!」.イラク戦争から福島核参事へ、まさにそうだと思う.桜のもとの憂いは,この世のいまの在り方を重ねるところに起こるこちらの心の動きかも知れない.
この雑誌で時代を読み解く言葉として,西谷修さんが,16世紀のフランスの人エティエンヌ・ド・ラ・ボエシのことば「自発的隷従」を紹介しておられる.『自発的隷従論』は昨秋翻訳が出た.西谷修さんはその監修者である.この本はすごい本である.ボエシがまだ10代の頃に書いたものである.ボエシはモンテーニュの友人.そして32歳で亡くなった.近代フランスのそのはじまりの頃に書かれた本書が,そのまま今の日本を鮮やかに書き切っている.この本についてはまた詳しく書きたいが,昨日買った『DAYS JAPAN』の中でも紹介されていたので取りあげた次第.
それにしても「自発的隷従」,現代日本の支配を支える人々の在り方を的確に言い表している.本の紹介にあるように「圧政は、支配者のおこぼれに与るとりまき連中が支え、民衆の自発的な隷従によって完成する」.まさにその通りである
しかし,その多数の隷従のもとで,やむにやまれぬところから人々は立ちあがる.私は,この隷従による支配体制を打ち破るときは必ず来ると信じている.そのために,隷従の鎖を断ち切った人,一人一人ができることをする.それは必ず輪となり力となる.昨日から今日へとこのようなことを考えたしだい.