資本主義の終焉

 今日は金曜日の関電前集会の日であるが,授業が入った.昨秋,こちらが入院したとき,幾人かの人に代わりに授業をしてもらった.その手配も,急にいわれた先生も大変だったと思う.だから逆の立場になれば,引き受ける.ということで,7時半まで授業となり,それからではタクシーで飛ばしても8時に終わる直前しかいけない.それで,今回は見送ることにした.
 福島事故から3年,核汚染は確実に深まっている.人民新聞1511号に「じわじわ進行する内部被ばくを黙殺する巧妙な安全キャンペーン」という記事が載った.その中に次の下りがある.語っているのは「内部被ばくを考える市民研究会」の川根眞也さん.

  「放射能防護プロジェクト」に参加している三田茂さんという医師がいます。この3月に小平市の病院を閉院して、東京から岡山へ移住することを決断されています。今年3月11日に、『報道ステーション』で古舘伊知郎さんが甲状腺がんの特集をやりました。古舘さんは三田先生にも取材に行っています。
 三田医師は、東京・関東の子どもたちの血液、特に白血球の数値が低くなっている、と明らかにしました。それは柏市三郷市のようなホットスポットだけでなく、埼玉市や川崎、横浜、相模原の子どもたちの数値も悪くなっている、と指摘しました。
 話を聞いた古舘さんたちは驚いて、「先生の名前と顔が出るが、話していいのか」と聞きました。三田先生は「大事なことだから、きちんとした良い番組を作ってくれるなら出して構わない」と、OKを出しました。ところが、数日後に連絡が来て、「実は東京が危ないということは報道できない」と、全面カットになったそうです。福島だけの問題になってしまいました。

 実際のところ,福島の子供らから関東地方の子どもたちに核汚染はひろがっている.しかし,新聞もテレビもそれは一切報じない.オリンピックを名目にさまざまの形で税金をつぎ込み,報道機関もまたそこから利益を得ている.東京でオリンピックができる状況ではまったくないにもかかわらず,そのことは一切報道されない.隠せるところまで隠そう,それが旧体制の姿勢である.しかし,いかに隠しても,また隠せば隠すほど,この市民研究会のような地道な活動と,現実の汚染の影響の顕在化の事実が,これを放置する政府への怒りとなって,深く蓄積されてゆく.
 チェルノブイリの事故の時も,はじめの3年間は日本と同じ,事態を小さく見せようと情報を隠し,避難の規模も小さかった.しかし3年を経過して,子どもたちへの汚染の影響が顕在化.無策な政府への怒りはウクライナのある都市では暴動にまでなった.そして,大規模な避難移住がはじまる.そして結局はチェルノブイリがいちばん大きな要因となって,核惨事から5年で旧ソ連邦は崩壊した.「社会主義陣営」が地上に存在した歴史段階は終焉した.
日本いおいてもまた,このままでは必ず大きな動きが出て,何かが終焉する.何が.昨日『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著,集英社新書)を手に入れ,一気に読む.SPAYBOYさんも読んでおられた.その章立ては次の通り.

第一章 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ / 第二章 新興国の近代化がもたらすパラドックス / 第三章 日本の未来をつくる脱成長モデル / 第四章 西欧の終焉 / 第五章 資本主義はいかにして終わるのか / おわりに−豊かさを取り戻すために  

 本書からは多くのことを学んだ.本書の中にある言葉であるが,「情報を独占する側が常に敗者となるのが歴史の教訓です」.秘密法の経過を考えると,これは意味深い言葉である.このようにはっとする言葉がちりばめられている.論旨は明快である.こちらの理解で言うと次のようになる.資本主義とは中心部が周辺部を収奪しながら拡大するシステムそのものであり,拡大・成長は資本主義の存在条件である.ところが地球は有限である.アフリカ諸国がそれぞれ近代化してゆく今,もはや現実に拡大する余地はない.したがって,拡大のシステムとしての資本主義は終焉する.日本はその先端を行っている.ゼロ金利になって20年.ゼロ金利とは投資に対して利益を付加することができないということであり,最初に日本がその段階に達した.
 実体経済活動への投資では利益が出ないので,資本主義延命策として格差を拡大し,周辺部を国内に作り,まさにそこから収奪するしかなくなっている.しかし,この方法は,結局国内の購買力を衰退させ,早晩行きづまる.あるいは,アメリカのように金融空間を作り出し,金融空間で周辺部から金を集める.しかしこれは必ずバブルの崩壊を招く.さらにまた,EUのように欧州帝国を作り出すことで生き延びようとするところもあるが,帝国の中の周辺部からの収奪を強めればあのような危機が起こる.いずれも擬似的に拡大する場を作ろうとしてきたが,それらの方法はもはや限界に近づいている.
 水野さんは内閣官房審議官なども勤められた,いわば「中の人」である.その人が「資本主義の終焉」を言われる.思想として資本主義の終焉を言うというよりは,事実に即して考えれば,もう資本主義の段階は終わっている,ということなのだ.チェルノブイリ核惨事−5年−ソ連崩壊.福島核惨事−?年−資本主義の終焉,である.アメリカ,日本,EU,中国の現政府がやっているような延命策は,早晩,大きなバブルの崩壊を招く.そのとき多くの人がその犠牲になる.何とか,いわゆるソフトランディングはないのか.その道筋はないのか.それが水野さんの問いかけである.
 私は,資本主義の時代とは経済が第一の時代であり,それを人間が第一の時代に転換すること,それが資本主義の終焉の意味であると考えている.その段階において経済は人間のための方法であり,手段である.人間が経済を使いこなすのである.これをうち立てる.資本主義そのものは,使いこなす対象としての経済の制度であり,かつての社会主義思想のように資本主義を終わらせること自体を目的にする必要はない.大切なことは,人間を第一とする政治を生みだすことである.それにしても,資本主義の終焉を議論する時代になったことは,自分の人生をふりかえって感慨深い.
 これが昨日手に入れた本である.昨日は京都.四条から七条まで西洞院通りを歩いた.途中仏光寺通りの辺りに,昔菅原道真が流されるとき「東風吹かば、匂いおこせよ、梅の花、主無しとて、春を忘るな」を読んだ場所がある.菅原道真が生まれたところであるとも言われている.それが菅大臣神社である.そこで一休みした.写真はその神社.仏光寺通りからその神社へぬける通り.こんな町屋の通りがいい.