放射線管理区域に暮らす

美味しんぼ」騒動を踏まえて,小出裕章さんへのインタビュー記事人民新聞1515号に載っている.余り知られていない新聞なのでここで紹介する.題して「放射線管理区域(4万Bq/平方m)に数百万人が、普通に暮らす─という違法状態を直視すべき」である.安易な私見を交えず客観的に語る小出さんの言葉は,それだけに、現実の日本の地獄を照らし出す.

 放射性物質を取り扱うことができる場所は、日本の法律によって特定の場所に限定されています。それが放射線管理区域です。一般の人が立ち入ってはいけない場所であり、私だってここに入れば、水を飲んでも食事をしてもダメです。管理区域から外に出る時には、汚染検査をしなければならないのですが、その基準値が4万Bq/平方mです。私の体のどこかに4万Bq/平方mを超える部分があれば、除染しないかぎり外へは出られないのです。
 管理区域から4万Bq/平方mの汚染物=実験着などを持ち出すことも、禁止されています。人間の住むところに4万Bq/平方m以上の汚染物があってはならないというのが、日本の法律です。私はこれを守り、汚染物を外に出さないように細心の注意を払ってきたつもりです。
 ところが、原発事故で4万Bq/平方mを超える汚染が、広大な地域に広がってしまいました。東京の一部も6万Bq/平方mを超えています。…
 私のような人間しか入っていけない上に水すら飲んではいけない場所に、一般の数百万人が普通に生活をしている、という異常な状態であることを、はっきり認識してほしいと思います。このことが被曝の議論から抜け落ちていることが、まず不思議です。

鼻血云々の話ではないのである.放射線管理区域に数百万人が暮らしている.これが日本の現実である.

 放射線管理区域の中でも作業者が容易に触れることができる表面は、40万Bq/平方mを超えてはいけない、と定められています。つまり、放射線管理区域の中でも、40万Bq/平方mを超える物体があってはならないのです。
 ですから、60万Bq/平方m超える地域というのは、私にとって想像もできない場所です。さすがにこの地域は帰還困難地域ですが、そのすぐ外側の59万Bq/平方mの汚染地域住民には、帰還しなさいと言っているのです。住民には、赤ちゃんも子どもも含まれてしまいます。
 そもそも放射線管理区域(4万Bq/平方m)は、18才未満の者が立ち入ってはいけない地域なのです。こんな場所に子どもを含めて帰すなどということは、到底ありえない施策です。

もしこの間まともな政治が行われていたら,例えば兵庫県の山間部のように過疎で土地のある所をいくつも選んで小学校や中学校と寄宿舎を建て,4万Bq/平方mを超えるところの子どもたちは,学校ごと移住.0歳から学童期の子どもは母親とともに移住.3年経った今頃はもうすべて移住が終わっていなければならなかった.それは書くだけでも気が重くなるような大変なことだ.戦争中の学童疎開はそれでも戦争が終わるまであった.しかし,この核汚染は広範囲であり,いつ4万Bq/平方m以下になるのか,見当もつかない.しかしそれでもそうしなければならないし,今からでもしなければならない.それしかないのである.そしてさらにそれは同時に故郷が奪われるということであり,それが東電核惨事の事実のなのだ.その責任はあげて東京電力原発政策を続けてきた歴代政府にある.
すべてを福島に押し込め,その外にいる者は,アベノミクスだオリンピックだと,何ごともなかったかのように振る舞う.それは方丈記ではないが流れに浮かぶ泡沫(うたかた)のような,一時のことに過ぎない.現実を見たくない人と見せたくない政府が,今回のように「美味しんぼ」たたきをする.あれはまったく戦前の「非国民」と同じだと言う人がいた.そのとおりであると思う.「この戦争はおかしい」と言ったものを「非国民」とよってたかってたたく.その構図は今も同じである.
ただ,私はその人に言った.その通りなのだが,しかし,であるなら8月15日が再び来ることもまた,まちがいない,と.歴史はくりかえす.一度目は悲劇として.二度目は茶番劇として.再びの8月15日という意味でも二度目であり,チェルノブイリをくりかえしているという意味でも二度目である.チェルノブイリから5年で旧ソ連は崩壊した.再びの8月15日はいつになるのか.いつできるのかというわれわれの問題かも知れない.
地震列島弧に原発を作り,福島第一の事故後も情報を操作して事態の真実を隠し,核汚染を世界にまき散らしながら誰一人責任を取らず,福島を見捨てる日本政府.これは原子力村の本質そのものである.これを存続させることは人間と地球に対する冒涜である.日本列島弧に住むのものの責任において原子力村を解体し,人類の叡智を集めてこの惨事に対処する体制を生みださなければならない.
2年ほど前に書いたこの言葉は,今もそのままである.このような政府が,こと集団的自衛権の問題に対しては「今のままでは国民が守れない」と言う.福島の子どもを守るために今からでも出来ることをしてから言え,ということである.