いのちの夏

 今日は,6週間ぶりの診察日.採血しレントゲンを撮って診断.少しEos,好酸球の数値が高いのだが,花粉症などのアレルギーからきているのか,肺からなのか,その原因はわからない.その他の数値は異常なく,レントゲンもきれいである.ということで,ここでいったんステロイドの投与は止め,5週間後にもういちど検診し,それで判断しようということになった.8ヶ月間飲み続けたステロイドがひとまず終わった.いつもは病院から出て横の薬局で薬をもらって戻るのだが,今日はじめて薬局に寄らなくて良かった.朝のうちは雨が降っていたのだが,11時過ぎに病院を出ると日が差している.病院正門前の木立でいっせいにクマゼミが鳴いている.思わずその声に聞き入ってしまった.一面のセミの声に夏が来たことを実感した.それで傘を病院に忘れてきた.5週間置かせてもらおう.
 雨あがりの夏の日差しのなかを最寄り駅まで歩いた.どの木立もセミの声である.彼らの短いが充実した夏である.セミのいのちと,こうして病も半ば癒えて歩いているわがいのちと.言葉を越えた存在である.生きているかぎりなすべき事ごとに精を出し,そしていずれは土に還る.それ自体がまた大きないのちの営みである.道ばたに地蔵様があったので,立ち寄って合掌.
 さて滋賀県知事選挙.やはりあの戦争を経験し,そして福島の核惨事の渦中にあるわれわれは,少しは賢くなっている.しかし,三日月候補25万票,自公候補24万葉,共産候補5万票であるから,共産候補の分裂行動がなければ,楽勝であった.脱原発・集団自衛権反対の候補を統一し,共産党もそこに加わる.こうしてこそ,共産党もまた滋賀県政への発言権が得られるであろうに,彼らはそうはしない.彼らは現実を少しずつでも変えてゆくということが怖いのだ.それでも共産党支持層の25%は三日月候補に投票しているという出口調査もある.今回はいわゆる学会票も動かなかった.いつもの選挙では公明党支持層の期日前投票が多いのだが,今回はそれがほとんどなかったという報道もあった.安倍を内から支える公明党と外から支える共産党の内部でも,地殻変動が起こっているかも知れない.またそれは必然である.
  このような分裂行動を押し返し,脱原発・集団自衛権反対の候補が勝ったことは大きい.親戚や知りあいもたくさんいる滋賀県だが,投票行動に示された滋賀県民の意志に敬意を表したい.   実際,大飯原発で何かあれば,琵琶湖特産の鮒寿司がなくなるのだ.鮒寿司のない人生なんて,とまでは言わないが,やはり琵琶湖から宇治川はわが故郷である.人間にとって故郷はかけがえがない.そう思えばよけいに,故郷を奪った福島の事故の,根源的な非人間性に思い至る.故郷を失った人の,胸のうちを思う.やはりこの日本列島弧の原発はすべて止める.福井地裁の判決が「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」というように,故郷を孫子に残し伝えることは,今を生きるものの責任である.琵琶湖に住む人たちが,この原点から脱原発候補を選んだことに,希望を見いだす.
 今日,七月十四日はフランス革命記念日.1789年7月14日,パリの市民がバスチーユ監獄の政治犯を解放し,フランス王政を倒した日.近代日本では「巴里祭」などと革命記念日であることを薄めた表現をしているが,こんな言い方は日本だけ.パリではあくまで革命記念の日である.その後のフランス近代の紆余曲折を体験している現地の人にとっては,お祭りの日ではありえない.そしてフランス革命から250年余を経て,われわれもまた現代の革命の課題に直面しているのだ.昨日は京都のことを書いたが,パリにあって京都にないもの,それが町衆蜂起の革命であり,われわれは未完の革命としての明治維新の後半部分を仕上げなければならないのである.
そして,七月十五日は日本共産党創立の日である.大正11年(1922年)7月15日に東京渋谷において,『社会主義研究』に拠った堺や山川らが結集して,非合法(治安警察法違反)の党として日本共産党(「第一次共産党」)が創立される.この当時のメンバーは,堺・山川・荒畑寒村・渡辺政之輔・徳田球一・佐野学・鍋山貞親野坂参三・浦田武雄、吉川守圀らである.私が尊敬する徳田球一もまたこのなかにある.今日この日は忘れられてはいる.が,以来九十年,今こそこの歴史を客観的にしかもわがこととしてふりかえるときである.党とは人々を団結に導いてこそ,その存在に意味があるのではないのか.現実はどうか省みよ.かつてこの共産党の復興にかかわりその仕事を課題として残したものとして,このことをまじめな党員活動家に呼びかけたい.
「生きているかぎりなすべき事ごとに精を出し」と筆の流れで書いて,仕事を終えて夜読み返し,さてわがなすべきこととは何ぞやと考えざるを得ない.このように考えるところに,このような日記の意味があるのだろうが.今いちばん課題にしているのは『高校数学の方法』の第8版の作成である.これまでは問題を解くという観点が主であり,「高校数学の方法」とはいえ,問題を解くうえでの方法であった.私は小学校の「算数」も中学・高校の数学も大学初年の数学も,そして専門的な現代の数学も,一つの文明における数学として,高い統一性がなければならないと考える.そのうえで,専門化される前の,文明社会で生きるうえで必要であり,人間形成の土台となる数学のすべて,これを「初等数学」とおさえてきた.高校時代というのはこの初等数学の最後の段階であり,学んで身につける段階から能動的に考える段階への過渡期である.そこにおける方法論,その飛躍への道筋,これが「高校数学の方法」である.これを書きたいと思う.
そういうことをやる人間としての発言,これは続ける.しかしどういう人間かを見失ってはならない.などなど病院へ行った日はいろいろ考える.