原発やめない首相は辞めろ!

今日は関電前行動の日.暑い日であったが,その前にまず京都まで行って稲荷塾の彼にあずかった原稿で読んだところまでを持ってゆき,色々気づいたことを話す.それから大阪に戻った.今日は天神祭の日.浴衣姿の人もたくさん電車に乗っていたが,こちらは時間が少しあったので,いつもの店で食事.いい気分で,堂島の方へ行く.京都は暑かったが,しかし大阪も堂島辺りは海風も吹く.
「関電は再稼働をはよ諦めろ!原発やめない首相は辞めろ!」 100人余りが今日も声を合わせてきた.もう3年近くいつも顔をあわせる人もいる.声をかけあう.こういう持続的な行動は強い.いつもの彼と梅田に戻り,わかれてきた.写真は4週前には咲いていたアガバンサスの花の後.時間が移っているのだ.
それにしても,原子力村もしぶとい.なかなか諦めない.というより,日本の原子力村,旧体制は原発再稼働とアメリカ従属が存続の条件なのだ.原発アメリカ従属,これが戦後体制の根幹であり,これを諦めるということは,この体制がもはや持続できないことを意味する.ということは,脱原発の主張は,まさにこの戦後体制の根底からの作り替えを意味する.このような事実が,ようやく関電前集会にも反映し,そのスローガンも「原発やめない首相は辞めろ!」と,極めて政治性のあるものになってきた.これは必然だ.
ウクライナでのマレーシア航空機撃墜のことも,ほぼ事態が見えてきた.かつての9.11と同様に,ウクライナ軍とアメリカのネオコンによる自作自演の可能性が高い.ロシア政府の説明が一貫しているのに対して,アメリカやウクライナ政府の解説は,いわゆる親ロシア勢力がやったと叫ぶだけで,なんの根拠も示されない.9.11は,アメリカ政府が何らかの準備をしたことはまちがいない.その後,アメリカはアフガン戦争,イラク戦争にのめり込み,その結果衰退を早めた.今回の事件も,結果としてアメリカの衰退,いやむしろ崩壊を,早めることにしかならないだろう.
世界史の現段階の趨勢は,やはり経済を第一とする800年の歴史から,人間を第一とする次の800年への,大きな転換期である.人間を生産活動の資源と見なす考え方から,人間固有の価値と原理を日常のものとする時代への,転換期である.日本で人間を資源と見なす考え方を広めたのは,1970年代から80年代の文科省である.その結果,いじめ問題が大きくなり,不登校生も増え,若者の貧困化と格差拡大が広がった.文科省のこの思想は,資本主義そのものであり,それを露骨に明確に言ったものである.この人間を経済活動の資源と見なす考え方と闘い,人間固有の原理をうち立てる.それをまた新たな政治のあり方に具体化してゆく.気の遠くなるような話しであるが,しかしまた今日の金曜行動のような行動なくしてはありえない.今日の行動もまた,転換期の歴史の一コマである.